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247. したい性から主体性へ ・・・  (2018/07/16)  


「したい性から主体性へ」

 あれしたい、これしたいは若者の願望? 仕事となると、”○○したい”から自分を主体とした、”私、やります!”に変えなくてはならない。ソフトバンクの孫さん、ある講演で「始めに夢ありき」だと言った。そしてその夢を現実にする過程がストラテジー(戦略)だ、とも。

 彼はとてもめげない人のようだ。彼が日本に帰化しようとした時、役所が「孫」という名前の日本人はいないので、帰化にあたっては日本人の名前に改名するように言われたそうだ。彼、そこで諦めなかった。付き合っていた女性と結婚し、彼女の名前が「孫」になった。これを根拠に再度役所に行った。家内は日本人ですが、名字は「孫」です。つまり孫という名の日本人が実在するのですから、私が「孫」という名前で帰化することを認めてください、と。
 どうやら戦略の第一歩は、出来ない理由探しではなく、どうやったら出来るかを見つけることから始めると良いようだ。

 私がお世話しているモンゴル人ご夫妻、中古車輸出が出来るようになりたいと思っているが、なかなか具体化に至らない。どうやら理由は、日本に(大学院まで出)6年留学して日本語が堪能な奥さんは、お子さんが二人いて自分の時間が取れないこと。反対に若くてエネルギーに満ちたハンサムなご主人は体力・気力はあっても日本語がまだ十分ではない。また彼、生活のために仕事に拘束される時間が長いので、中古車輸出にかける時間が取りにくいことがあるようだ。
 さて、彼等の「出来る探し」はどんな展開になるのだろう。奥さんが、ぽそっと私に言ったのは「自分が働きに出て、ご主人を固定的な仕事から解放してあげること」、そうすれば彼が中古車輸出に割ける時間が取れるようになるだろうと。



「選択」と「覚悟」

 何かを選ぶということは、何かを選ばないという対極の決定する必要がある。身近な例で言えば、本を読みたいと思ったらテレビを観ないという意思決定が必要になる。これをしないと寝不足になり、仕事に支障が出て来てしまうだろう。

 仕事も同様。学卒ならば卒業と同時に仕事をスタートすれば良いし、定年退職者であれば、一旦フリーになるので新しい事業のことだけに集中出来る。しかし勤め人があらたに事業を興すとなると選択が難しくなる。
 今の仕事を止めてしばらく収入が途絶えるが、新しい仕事に全力を投入する。また別の例だと、将来の事業と関連する仕事に一旦転職し、例え収入が減ったとしてもノウハウの吸収と収入の安定性確保を両立させるとかが考えられる。いずれにしても、一定の収入を確保しながら新しい事業を起こすということは並大抵の努力では出来ないかもしれない。
 ここで大事なのは「覚悟」だろう。ことを起こすにあたって、自分はどこまで辛抱するのかをあらかじめ考えておく必要がある。当然、シナリオには、最悪の場合を想定しておく必要がある。私の場合で言えばお金の面での覚悟だけは最初にしておいた。具体的には創業資金として300万円を用意し、それが尽きたらその事業をあきらめようと。撤退のシナリオが用意されていない「戦略」には「玉砕」しか道が無くなるのは、第二次大戦の日本軍の歴史を見れば分かるだろう。



「初期エネルギー」

 別に中古車輸出に限らないが、何か事業を始めようと思ったら初期段階の集中度が大切。私はこれをよく飛行機の離陸に例える。滑走路の端まで来て管制塔の指示を待つ。管制塔から離陸OKの指示が来たら、エンジンパワーを最大にし、滑走路を滑るように走り出す。どんどん加速し、離陸に十分な速度に達したらフラップを調整して一気にテークオフ!する。
 これが初期の加速が十分な速度に達することが出来ないと、離陸を中断するしかない。つまり、最初に大きなエネルギーを投入しないと離陸出来ないのだ。事業でも同じ、最初のステージに時間とエネルギーを取られるがここを中途半端にしてしまうと、結果は挫折しかなくなる。



「困った時に頼れる人脈を持つ」

 中古車輸出の仕事のイロハは、こんな感じ。まず「古物商」の許可を最寄りの警察署で貰う必要がある。なんだか骨董屋さんをイメージするが、昨今は古本屋さん、古着屋さんなど多岐に渡ってこの資格を取っているはず。次に大変なのは、この「古物商」を取得してから1年たたないと中古車オークション会場のメンバーになる資格が出来ないのだ。更に、若くて人脈のない人が困るのが「保証人」のこと。中古車オークションは中古車とは言え、場合によっては数百万の車の競りをおこなう訳だから、主催者としては支払が確実に行われるのかを心配するのは当然。そこで「保証人」には不動産(土地・建物)を持つ人を(場合に寄っては複数人)たてる必要がある。
 私は定年になってから事業を起こしたので人脈もそこそこあり、保証人探しにもさほど苦労はしなかったが、若くてこの事業を始めようと思った人の中には、保証人がたてられず中古車オークションの会員になることを諦めた人もいた。昨今はネットオークション専門の会社もあり、そうした人たちの受け皿になっている。しかし、当然中間マージンは高めの設定になり、それでなくとも利幅の薄い中古車ビジネスを更に難しくしているようだ。


「発想の柔軟性」

 以前このホームページにも書いたが、ほぼ3年ごとに環境が変わって、従前のビジネスを継続することが出来なくなった。最初はアフリカ向け中古車輸出。こちらは大手が規模を拡大して(月に1万5千台もの中古車をチャーター船で輸出)アフリカに輸出しだしたものだから、あっという間に中小零細事業社は駆逐された。

 つづくニュージーランド向け輸出。こちらは別の中古車輸出商社が現地中古車ディーラーの囲いこみにと、大量に現地に送り込んだ車輌の卸売りを展開した。日本から私のような事業者に依頼して中古車オークションで調達代行をして貰うと、船便の関係で、買ってからおよそ1月しないと車が届かない。しかし前述のケースであれば、既にニュージーランドに届いた車から選んで買えば良いのだから待つ必要もなくなる。

 こんな具合に、今年で8年目の中古車輸出ビジネスも3〜4年ごとに見直しを迫られた。次の展開へのステップは、私の場合で言えば、人脈のお陰で多面的に展開先(輸出先)を変えてこられているが、多くの人はこうはいかなかったようだ。というのも、最初のアフリカ向け輸出時代に知り合った新人事業者たち(多くは30歳代)、およそ30〜40人と名刺交換をしたが、いまでも輸出をやっているのは私の知る範囲、一人しかいないのだ。それも国内売りと海外輸出が半々というところ。輸出だけでビジネスをしている人は、私の知るところ私以外には知らない。


 違いは何だろうかと振り返ってみれば、私には人脈があり、それらの人に助けられたこと。もう1つは、輸出先にこだわりがなかったことだろうか。ちなみに、私、30代の仕事は国際交流(海外から研究者を日本に招聘する仕事)で、世界の様々な国の人とお付き合いをしてきた。いろいろな国があってとても興味深いものだった。であれば輸出先にもこだわりはない。ご縁があったところとのお仕事を大事にすれば良いだけ。



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