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241. 100年ライフへの「覚悟」の半分はお金の面での覚悟なのかも ・・・  (2018/05/06)  

 先日偶然点けたテレビの番組でのこと。カナダ人が上方落語の師匠に弟子入りを願い出て、落語家修業をしているのだそうだ。落語や講談などの世界の弟子となるには、師匠の身の回りのことから始まる修行の時代が長いと聞く。このカナダ人はそうしたことについてどこまで「覚悟」をして望んだのだろうかと思った。

 まったく次元の違う話しだが。昨今、ペットの犬や猫も人間同様に長生きするようになるとともに短命だった時代にはなかったような老人病ともいえる諸々の疾患をかかえて生きることになってきた。息子夫婦が飼っている犬、(高齢化とは関係なさそうだが)角膜にキズがついて動物病院に通うことになった。現状、私の方がヒマなもので私が動物病院に連れて行くことにした。初診は、目の状態を写真に撮って私に見せながら病状について説明をしてくれた。それによればなんらかの原因で角膜に傷がついてしまっていること。また、この状態に気が付くまでに時間が過ぎていたことから角膜潰瘍になってしまっているとのこと。治療を開始することにし、適応する目薬を処方してくれた。これで初回治療代は1万円だった。近年、自分自身が白内障を患い眼科通いをし、最終的に「手術 」を受けて視力を回復した私の感覚では、我々人間が保険無しで診療を受けたとしたらこれくらいはかかるだろうなと納得して支払った。

 ペットを動物病院に連れていったことが私の中での中心的な関心事になっていたもので、この連休中再会した高校時代の同級生にもこの話をした。それによれば彼が飼っているチワワも高齢(15才)となってから子宮筋腫を患ったのだとか。手術を受けて良くなったそうだが、かかった手術代は10万円だったそうだ。

 更に、仕事がひまになったものでゴルフ向け体質強化にと通ったヨガ教室でもペットの病気の話しをしてみると、私と同年代(70才前後?)の方がこんな話をしてくれた。彼のペットのダックスフント、歯槽膿漏になったのだとか。通っている動物病院では抜歯は出来ないとのことで、探した港区の大使館の多い地区の動物病院で抜歯して貰うことにした。手術後、請求書を見て、一瞬、桁が違うのでは?と思ったそうだ。記載されていた手術代がなんと45万円だったのだそうだ。人間と違って動物医療の世界では治療費に関する規定もないし、人間の世界のような保険もないからなのだろう。

 私は別に、このコラムで動物病院の治療代の問題点を議論しようとしている訳ではない。注目しているのはペットを持つ飼い主さんのこと。ペットを家族の一員と考えるなら、一見法外と思える治療費も払うということ。それは飼い主さんの「(主にお金の面での?)覚悟」のほどなのだと思っている。


 人間、そんなに先が読める訳ではないので、ことが始まる最初の時点で相応の「覚悟」が出来たかどうか。前述の落語家に弟子入りしたカナダ人の場合、それなりに「覚悟」はしていただろうが、それを超える想定外の苦労もあっただろう。ならば、現実、事実が目の前に来た時にあらためての「覚悟」を求められる。こうなると、ここで求められるのは、人間としての「生きる覚悟」のような気がする。

 長く暮らせばペットも家族。それぞれの家庭の懐事情もあるだろうから、その中から出来る限りの治療をしてあげているようだ。小さな命ではあるが、それへの対応には、それなりの「覚悟」がいったことと思う。ふりかえってが自分のこと。我々自身、もしくは伴侶のこと。介護のことが我がこととして起こることも想定しておく必要があるだろう。その時のために、せめてお金の面についてだけでも「覚悟」を始めておく必要があるのだろうと思う。

 なぜなら覚悟の半分はお金で解決がつくことがらかもしれないから。前述の高校時代の同級生、かつて銀行勤めをしていた時代に自宅と地続きだった土地に家を建て人に貸していた。定年後は古くなった隣の家は取り壊して更地にし、そこを家庭菜園として楽しんでいるそうだ。そして奥さんには、自分が死んだあとは、この土地を売って資金をつくり、老後の生活の足しににしてくれと伝えているそうだ。これも老後の「覚悟」の1つだと思う。




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