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24.ウェブ時代をゆく  ・・・ (2008/1/1)

 
 このページのタイトルは、梅田望夫氏の本のタイトル「ウェブ時代をゆく いかに働き、いかに学ぶか icon」を借用しています。この中に、シニアの人たちが生き生きとした世界を作るヒントがありました。

  福沢諭吉の言葉として紹介されていたのが、これ。「文明論之概略」緒言の中で、幕末から明治への変化について「恰(あたか)も一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如し」と表現した。
  定年になって、それで終わりなのではなく、もう1つの世界を作れるのです。それも、今までの時代を「江戸」とするならば、更に発展する「明治」という世界が作れるのです。どうやってつくるのかのヒントがこの本から拾えます。

  梅田氏いわく、ウェブ進化という大変化に直面している同時代の私たちの生涯は、「一身にして二生を経るが如」しだと思うといっている。更に、「一身にして二生を経る」時代に生きるうえで大切なことは「最初の半分」での常識と「あとの半分」での常識はきっと異なるはずという想像力を抱きながら生きることだと思う、と。

  こうして書いていくと、読まれるシニアの方は、著者とは年齢が違うから無理、と思われることと思います。その通りなのですが、ネットの世界では、実は年齢も、また住んでいる場所も、さしたる問題ではなくなるのです。





  1997年に公開を始め、現在は維持管理が大変なので休眠にしている私のホームページです。このホームページを公開した時は既に「47歳」でした。ホームページの預け先、プロバイダーは「群馬インターネット」、住んでいるのは東京の山手線の内側、「都会のまっただ中」でした。

  このホームページには沢山のメッセージが届きました。その中には、私が「フィジーに住んでいる」と信じている人、私を「30歳前後」と信じている人がいました。ある時、自分の娘の世代とおぼわしき(多分?)若い女性から、「○○君はフィジーに住んで長いの?」というメールが届き、思わず椅子からころげ落ちそうになりました。

  振り返ってみると、女性だけのサークルに参加してくる男性、通称「ネットおかま」というジャンルの人間がいるくらいですから、サイバースペースの中では、相手が感じる自分こそが自分であり、実像(リアル)な自分などは、さして重要ではないのかもしれません。


  さて、1994年、日本にインターネットのイベント、「Networld+Interop」 がやってきて、それを機会に「ベッコアメインターネット」という個人向けインターネット接続業者(ISP)が誕生し、パソコン好きのマニアがこぞってインターネットでのやりとりを始めました。しかし、普通の人が、普通にインターネットを始めたのは、ソフトバンクの孫社長が始めたYahooBBというADSLサービスをスタートしてからでしょう。従来の接続方式は、別途電話代がかかるため、長時間のネット接続が躊躇われたものが、定額制、高速通信が実現したことで、一気にブレークしましました。それに乗って大成長をしたのが「楽天」でしょう。いまや、ゴルフ場予約、ゴルフ用品の購入に欠かせない存在となりました。



  さて、さて、前置きが長くなりました。ビジネスマンが定年になって、会社という「枠(フレーム)」が無くなると、とたんに元気を失うような気がします。この本を読んでいて感じたのは、インターネットは会社という「枠(フレーム)」に代わりうるもの、ということです。その為には、従来の感覚を、一旦捨てることが必要となるかもしれません。


1.ネットの世界では、等しく一人の人間であること

  まず、年齢。若いとか、年をとっているということは、ネットの世界では無意味と考えた方がいいでしょう。男とか女とかも関係なく、インターネットの世界での出会いは、「対等な人と人とのつきあい」と考えるべきでしょう。くれぐれも、自分が年上だから、偉い?知識、経験が上?などとは考えませんように。(会社勤め時代のタイトル・名刺は無意味となります)


2.書き言葉で伝える努力を

  その昔、「男はだまって、、○○ビール」というコマーシャルがありました。それでなくても、日本の企業社会では、「何故ですか?」と聞こうものなら、反論と捉えられ兼ねない風土があるように思えます。また、日本人だから日本語が書けるというのも、大いなる勘違いで、自分の伝えたいことを文章にして伝える、ということには、かなりの努力と慣れが必要となります。


3.徹底的に「好き」を追求すること

  三度の飯より、という言葉がありますが、あんがいこれを見つけるのって大変かもしれません。自分が好きと思っていたのは、(例えば企業などから)与えられた選択肢の中で、好きだったということかもしれません。まずはこれを見つけることかもしれませんね。自分にとって面白いを追求していると、続くでしょうし、それが何年かしてそれが開花することでしょう。


 .     ※一例 ・・・ もともとは、建設会社で働いていらっしゃった方が、現在は好きなゴルフに関する執筆が本業になった方もいます。

 ゴルフ好きは山ほどいますが、この方は徹底されています。イギリス、スコットランドへの ゴルフ行脚を何年もすすめてきて、さらにそれを「ホームページ」として文章、写真で表現。それをベースに出版社から執筆を依頼され(定年後はイギリスでリンクスゴルフを愉しもう icon)現在は、何冊もの本を出版されています

  こちらのケースなども、インターネットの時代でなければ、個人が発表の場を持ち、それがきっかけで、ゴルフ旅行作家になることは出来なかったでしょう。






最後に、梅田氏の「ウェブ時代をゆく」からの引用でまとめたとしたいと思います。

私(梅田望夫)がオプティミズムを貫くのは、、、、ネットという技術の持つ性格について次の5つの点で、大きな希望を抱いているからである。

1.ネットが「巨大な強者」よりも「小さな弱者」と親和性の高い技術であること。

2.ネットが人々の「善」なるもの、人々の小さな努力を集積する可能性を秘めた技術であること。

3.ネットがこれまでは「ほんの一部の人たち」にのみ可能だった行為を、すべての人々に開放する技術であること。

4.ネットが「個」の固有性を発見し増幅することにおいてきわめて有効な技術であること。

5.ネットが社会に多様な選択肢を増やす方向の技術であること






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