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234. 人生100年時代をどう生きるのか?(PartIV)  ・・・  (2018/03/11)  

   ◎ 起業には目的意識+トリガーが必要

 訳あって勤めて半年足らずで外資系企業を退職した。当時私は3部門ある事業部の1つ、そこの責任者だった。当初は次の職が直ぐに決まると楽観的だったが、特に就職活動をしていたわけではないので、あたりまえのことだが、時間だけが過ぎていった。そんな中、私のことを買ってくれている年配経営者から声がかかった。永くシステムインテグレータの会社を経営してきたが、そろそろ引退を考えていたようだった。恐らくは新しい分野に目を向けて活動してきた私が目に止まり、経営者としての残りの時間を私が立ち上げるであろう会社に期待をし、引き続きIT業界を観ていたかったのだろうと思う。

 その会社にデスクを用意してくれ、名刺も作ってくれ、またパソコンも用意してくれた。私に新しいビジネスプランを考え起業してみないかと提案してくれた。会社経営、借金の仕方など経営全般を教えてくれるという。無給を希望したもので、割と気楽に毎日この会社に通い、日長パソコンに向かって、自分がやるならどんな仕事がしたいのかを考えた。1月たって出た答えは「やりたい何かが見つからない」だった。

 起業の意欲がわかないままでこの会社をあとにしたが、程なくして知人から声がかかり、外資系企業の日本支社の立ちあげに参加した。そこから8年ほど大変ながらも楽しく仕事をし、定年を迎えた。昨今の会社ゆえ、当然、雇用延長という選択肢もあったが、気がのらなかったのですっぱり退職した。

 最後の会社を退職して、まずやったのが旅行、それもアフリカへ。西アフリカ・ガーナへの第一歩が大変だった。週末、ちょっとハワイでゴルフをしてくる、、といったノリはまったく無理。まずVISA申請の前提として黄熱病の予防注射が必須だった。しかし、この黄熱病の予防接種を受けるというのが大変だった。東京でも、黄熱病の予防注射を受けられる場所がごく限られていたからだ。まずはそこに予約を入れ、接種を受けられる日を待つ。次に接種を受け、証明書(イエローカード)を貰って初めてVISA申請が出来る。次に飛行機の予約、それも安いチケットを手に入れたいといろいろ調べた。結果、ローマで一泊してガーナ入りすることにした(ローマ経由というのもいろいろ問題があったが、、)。

 とまあ、こんな手間をかけて行ったガーナ、有意義でした。今のガーナ、首都のアクラはそこそこビルも建っているが東京とは比べようもない。庶民の生活は、そう、映画「3丁目の夕日」に出てくる昭和30年代の東京のよう。それがまた私の心をくすぐった。なんともガーナの現状が私のノスタルジックな感覚を呼び覚ますのだった。10日間ほどガーナにいたが、アメリカ留学時代の同級生の手助けもあって沢山の情報を得、知的な刺激を受けた。振り返ってみれば、これが自分で起業する才の原動力になった(詳しくはこちらをご覧ください)。




 販売の仕方についての特徴は金額が提示されていないこと。代わりに携帯電話番号が書かれたメモが貼りつけラテている。つまり応相談ということ。

 ここにある車はアメリカから輸入されたもののようでした。

 国立公園を訪れた時の写真

 これがガーナチョコレートの原料、カカオ豆だ



 こんな具合にグータラな私には図書館で考えただけでは起業アイデアは浮かんでこなかっただろう。行動して(海外に出て)初めて、また場(アフリカのガーナ)が提供してくれる「知的刺激」というものがあり、それを得られる場に自ら移動することが大事。つまり私の場合、起業には目的意識に加えてトリガー(アフリカ旅行)が必要だったということだ。結果、選んだ仕事はアフリカ向けの中古車輸出だった。





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