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233. 人生100年時代をどう生きるのか?(PartIII)  ・・・  (2018/03/04)  


「定年後、最大のひまつぶしは仕事をすること」

 高校、大学で同級だったM君(小規模事業者社長)のアドバイスがこれ。またもう一人の同級生(同様に経営者)はこういう。「自分の好きなリズムで働きたい?ならば考えておくべきことは2つ。1つは人を雇わないこと。もう1つは事務所を借りないこと」と。今月は少し旅行でもしたいのでスローダウンしたい?などと思っても、人を雇っていたら給料はきちんと払わなければいけないし、彼/彼女の仕事だけは確保しておく必要があるからだ。

 定年後、仕事を始めた私はこの2つを守り、自営業を始めたが、オフィスは自宅の片隅、人は雇わず一人でやった。もともと勤め人時代は小振りな外資系企業(10人〜40人程度)数社で働いた経験がある。大きな企業は自分で決めることが出来る範囲が狭く、いちいち上司にお伺いを立て、許可を得ないと何もスタート出来ないのがイヤで、好んでこうした小振りな会社で働いた。お陰で、自分で事業を始める上でとまどうことはあまりなかった。


「分からないことは知っている人に聞け」

 例えば、定年後に始めた中古車輸出。世の中には乙仲という業務があり専門家が存在する。海外販売サイトを運営する会社に紹介された乙仲さん(横浜山下町)に菓子折を持って挨拶に行った。相手はびっくりしていた。聞けば、(ヨロシクとメールしてくる例はあるが)こうして挨拶に来たのは私が初めてだそうな。でも、相手の顔を知ることは営業でも必須だと思っていたし、あたりまえのこと。お陰で、以降は電話だけでも話しがスムースに進むし、また気がついたことには相手からアドバイスも貰えた。中古車の調達から陸送、乙仲さんを経由しての船積の手配など、関係する人とは出来るだけ会って挨拶をしておくことを心がけた。


「自分の取り柄は活用しよう」

 たまたま留学経験があったもので、そこそこ英語が話せた。また海外の研究者を日本に招聘する仕事をしていたこともあったで外国人の受け入れにも多少は慣れていた。

 海外との取引で、何度も私から車を買って(輸入してくれる)人とは親しくなった。ならば日本に呼んであげよう、と。思いついたものの結構これが大変だった。というのも現地の日本大使館が彼のVISA発行をしぶるから。私からも手紙を数回大使館宛に送ったが最終的には国際電話で話しをした。聞けば、毎年多くの人がアフリカから来日するが3割程度が日本到着後、行方不明に(不法滞在者になる?)なるのだとか。そこで聞いてみた。「一部の不心得者のために、まじめなビジネスマンへのVISA発給を拒むのですか?」数日後、アフリカにいる彼宛に日本大使館から電話があり、VISAを発給するから大使館に来て、とのことだった。数か月後、彼は日本にやってくることが出来た。

 こんな具合に手間ひまをかけてきたので、冒頭のM君のアドバイス「定年後、最大のひまつぶしは仕事をすること」の通りになった。もとより自分をヒマにしないためだったので、必ずしも効率優先で何でもメール、電話、ということでなくても構わない訳だ。またこの一見遠回りに手をかけた分、中古車の素人が未経験分野である輸出を手がけることも、より少ない困難さで出来るようになった。

 実は定年後仕事をする意味が私には2つあった。1つは「自分をヒマにしない」こと。小人閑居して不善を為すの例えありですから。もう1つは「社会との接点を持ち続けること」だった。中古車輸出の仕事をしなかったらドル円の為替レートの動きにも、さほど関心はなかっただろう。ついでに言えば、外貨を扱ってきたお陰で、ドルの運用が多少上手くなった。保有のドル預金はたいした額ではなかったが、それでも時々の家内との食事代くらいはドルの運用益で賄えた。



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