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226. 100年時代の人生戦略 (この本との出会い)  ・・・  (2017/12/24)  

LIFE SHIFT(ライフ・シフト)
100年時代の人生戦略
[ リンダ・グラットン ]

 タイトルを見て、シニアの私が読んでおかなければといけない本と思い購入しました。しかし読んでみて分かりましたが、これは若い人が読んでこそ価値がある本なのだと。なぜなら(四捨五入して)70歳の私には(平均寿命が90歳までとすると)余命は20年。これだと何か気がついたとしてもほとんど手遅れですよね。でも、もし今30歳の人ならば、彼らがシニアになる頃には平均寿命は100歳を超えているでしょうから余命70年となります。これだけあれば、今から人生戦略を練るゆとりが十分にありますよね。

 さて、この本に書かれている人生は3つのステージ(教育、仕事、引退)だったものは従来の考え方。人生100年時代ともなるとマルチステージ(生涯に2つ、もしくは3つのキャリアを持つよう) になってくるはずと。その意味は、人生が長くなれば働く年数を増やさない限り(年金制度の維持が難しくなりつつある現在)十分な老後資金を獲得することがきわめて難しくなることは推測出来るでしょう。
 古いアメリカ映画を見ると裁判シーなどで速記をとっている特殊な形のタイプライターを目にしたこと、ありませんか?これがステノタイプです。(速記博物館より)

 それで思い出したのが私が30代、仕事帰りに虎ノ門で開校していた「英文会計」のコースに通った際のことを。講座の修了式で初めてゆっくりと同級生たちとおしゃべりをしたのですが、ほと んどが外資系企業のセクレタリー、経理担当たち、それもほとんどが女性。それもそのはず、このスクール、もともとは英文速記、英文ステノタイプの学校だったのですから。当時は英文速記を習得したセクレタリーはその特殊技能から高給を貰っていたようでした(今や時代が変わって口述速記を求めてくる外資系トップはいないと思いますが)
 そんな彼女たちいわく、この英文会計コースを卒業したら上司に給料アップを要求するのだそうでした。・・ 授業料を出してくれたのは会社なのに??? 
 これほど目的がはっきりしているのにも、またその前向きさにも、ただ、ただ感服しました。当時はこれは特殊な例と思っていましたが、これからはこうしたことがフツーになるかもしれませんね。 


 彼女たちが、私と同様に「自分の人生は自分で作るのだ」と思っていたのかどうかは分かりませんが、私の場合はアメリカ留学の経験からでした。今なら大学生がその延長でアメリカ留学するのが普通かもしれませんが、私の場合は、大学を出て、一旦就職をして後の話し(26歳)でしたから。3年間会社に勤め、自宅から通っていたので生活費がかからなかったこと、また残業の多い会社で(私の最高記録は96時間/月)しかも当時はまだ土曜日は休みではなかったものでお金を使うヒマがなく(?)、当時、たしか8.9%だったかと思いますが社内預金に給料の半分、賞与全額を貯金していました。

 ともあれ3年半会社に勤め、当時(昭和50年前後)のお金で社内預金が300万円にもなっていました。本来ならば英語が堪能な人が留学するところですが、たまたま留学から戻った同級生の手伝いもあって私もアメリカに留学出来ることになったのでした。ほんの日常会話しか出来ない私がいきなりアメリカの大学(最初アメリカ東部ロードアイランド州プロビデンス)に編入・留学したのですが勉強に追いついていくのは大変で、今考えてもよくまあノイローゼにならなかったものだと思います。
 こんな具合に留学当初は言葉は出来ないし知り合いは誰もおらず。ですので万が一病気でもしたら、これはもう這ってでも空港の日本航空カウンターに辿りつき、有り金で航空券を買い、なんとしてでも日本に帰ってくるしかないと思っていました。この状況ですから、「自分の人生、自分で作るしかない」と思ったのも無理からぬことと分かっていただけるかと思います。スタート時はこんなでしたが、言葉が分かるようになるにつれ、また持ち前の人懐こさから友達が次々と出来て、3か月後には授業内容も分かるようになり、かなり精神的にもゆとりが出来ました。


 こんな具合に、当時の私が「100年時代」を見越して会社を辞めアメリカ留学を果たしたわけではありませんが、こうして一度、終身雇用のレールから外れてしまうと、以降、転職への抵抗感は消えてきます。(もはや永年勤続を目標にする人生でもなくなった訳ですので)むしろ自ら変化を起こしていくことこそが自分に与えられた生き方なのだと思ってきました。こんな具合に自然にマルチステージ(生涯に2つ、もしくは3つのキャリアを持つ)を歩むようになった訳です。

 こうして自分で変化を作ることに慣れていれば、環境が変化した際の適応力が上がるはず。ですので、定年後、特に悩むでもなし、ごくあたりまえに「定年後起業」の道を歩んだ訳です。・・・感覚的には中学校を卒業したら高校に進むのがあたりまえ、と思っていたのとほぼ同じに。

 傍目で見ていても大変そうだったのは(中学時代、高校時代の同級生に多かったのが)学校を出てから定年まで1社で勤めあげた人たち。特に我々の世代は高度経済成長の時代、会社が家族を誘っての大運動会を催してくれたり、社員旅行を企画してくれた良き時代がありました。こんな具合にある意味生き甲斐まで管理してくれた時代を過ごした世代の人が、定年(言葉を変えれば解雇)させられたわけですから、以降の自分をどうデザインして、などというアイデアが浮かばないのはあたりまえのことでしょう。


 この10月に講演依頼をいただいた東京しごとセンターの相談員の先生と先日食事をご一緒した際にもお話ししたのですが、自分の生きている中で大地震など起こらなければ良いのだが、と思うように人生にも波風が立たないことを期待したいところですが、人生必ずしもそうは行きません。小泉首相も好んで使った言葉のようですが、「人生には、上り坂と、下り坂の他にマサカ、というのがある」と。つまり自分で「変化」を起こすことをしてきた人にはそんなに大きな驚きではありませんが、予期せぬ変化が外から押し寄せて来た場合には、人によっては「オロオロ」してしまうのもしかたがないのでしょう。これはちょうど冬場の風邪の流行る時期、インフルエンザのワクチンを予防接種していたのか、していなかったのかの違いのようなものかもしれません。


<編集後記>
 この本、LIFE SHIFT 100年時代の人生戦略には、自分の人生作りへのヒントが沢山書かれています。次回、もう少しこの本に関連したお話ししてみたいと思います。



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