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225. 「事実」と「ストーリー」の区分  ・・・  (2017/12/17) 


 最近あらためて気がついたのが、メールなどのやりとりをしていると相手の方の話しの内容に「事実」と「ストーリー」がごっちゃになってしまっていること。どうやら世の中の人のかなりの割合でこうしたことが起こっているのかも。そう言えば
テレビドラマでも、 「この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。」と出ます。私などは、ドラマを見て、これが現実と思う人などいるのだろうか?と思うのだが、どうやら架空の話を事実と誤認する人が多いからこそこうした説明が必要なのだろう。

 さて、「事実」と「ストーリー」、例えば交差点で車同士が出会い頭に衝突したとする。片方の運転手は、このところ悩みを抱えていて昨晩は友人と深夜まで酒を飲んでおり、いささか寝不足だった。車同士が衝突したことが「事実」、運転手の寝不足云々が「ストーリー」。


 私のところへ創業を希望される方からお問い合わせがくるがその方のお話しを聞いていると、「自分は以前は○○(大企業)で活躍していた。なので、やるなら海外とこんな取引をしたいと思っている」と。「ならばそれをやられてはいかがですか?」と返事をして差し上げるとまだ話し足りないのか、私がやっている中古車輸出にも興味があるのだとおっしゃる。その方がやってきた分野と私が定年後にやってきた中古車輸出では相乗効果が出るとも思えない。しかしご本人がやりたいというのであればと、私が培ってきた人脈を紹介してさしあげた。後日紹介して差し上げたキーマンの方からのご連絡によれば、(オレはあの国にこんな人脈がある、といった類の話はあったそうだが)中古車輸出についての展望が何もなかったのだそう。そこで「まずは売り先を確保しては?」とアドバイスしてお話しは終わったそうだ。


 もう20年近く前になるだろうか。ある啓蒙セミナーに参加した。高校時代の同級生に誘われたのだが、私以外にはその誘いに応じて参加した人はいなかったそうだ。それはそうだろう、このセミナーは参加料が3日半で25万円という金額なのだから。

 人間は変われない?いえ、私の考えは「もし本人が変わりたいと思うのであれば変われるはず」と思っている。今とは違う自分になれるのなら25万円も無駄ではないと思ったのだ。また何かに投資する場合、自分への投資が一番裏切らないと思う。そんなだから、参加するのにさしてためらいはなかった。
 参加した結果はとても満足出来るものだった。ハワイの病院で内科医長をされていたという日系人女性がコーディネートして原宿のセミナー会場を借りての開催だった。長方形のセミナー会場、恐らくは200人はゆうに収容出来るサイズだった。面白かったのは、通常なら縦長の一番奥の壇上に講演者が座るのだが、この会場を横長に使っていた。一段高い場所に、机は置かず、ディレクターチェアだけを置き、そこにコーディネータの女性が座ってお話しをした。

 ここで教えて貰った複数のことのなかの1つが今回のテーマでもある「事実」と「ストーリー」の区分だった。曰く、人間はいかに「事実」と「ストーリー」をごちゃまぜにしているかを再確認しようというもの。一連の話しを終えたところで「どなたか、この話題に関連して自分のケースを皆さんの前で話されたい人はいますか?」との問いかけに何人かの方が手を上げた。

 その中のお一人20代とおぼわしき男性。両親は離婚して自分は母親に引き取られた。父は母に乱暴をしたようで、母は息子の前でいかにあなたの父親はひどい人であったかと繰り返し語った。当然、母の親戚達も同様だった。しかし、彼の幼かった頃の記憶にある父は自分と一緒に遊んでくれたとても優しい父親だった。しかし母の前ではそれは言えないことが辛いと。そんな話しをしながら彼は泣き出した。彼にとっては母の前では自分の気持ちに正直でいられないことの重さがここで吹き出してきたのだろう。
 コーディネータは彼に「目をつぶってお父さんとのことを思い出しなさい」と言いました。事実を事実として受け止めることが出来ればそれは重荷ではなくなります。反対にイヤなことは逃げるといつまでもついてきてしまいますからと。

 私にはこのお話しは不思議だった。どう不思議だったのかというと、小学校前の記憶が二十歳をすぎた人間にそうまで影響しつづけていることが。そういえば、トップセールスマン養成講座というものに参加したことがある(こちらは一泊二日、白樺湖湖畔のセミナーハウスで)が、そこでの話しの中の1つに、トップセールスになるためにしておくことの1つが「未完了を完了しておく」があった。身近な例でいうと、虫歯がそのままになっていたとする。それをきちんと治療しておこう、というもの。たとえ小さなことでも、心にひっかかったことがあるのなら、それはきちんと完了させておけ。そうしたものでもトップセールスになることの妨げになることがあるから、というものだった。

 なるほど、そうしてみると前述の20代の男性にとってはこれが未完了を完了させる良い機会となったはず。あれから20年は経っているが、いま40代になった彼はバリバリ仕事をやっているのだろうか。


 とまあ、いろいろな方のお話しを聞いていると、人間、いかに過去からのしがらみと一緒に生きてきたのかが分かる。ゆえに、ある年代になると「事実」と「ストーリー」を切り離せなくなるのかも。現実の世界に生きている我々は、少なくとも「事実」と「ストーリー」の2つの面があり、必要であれば2つを区別することが出来るという自分にしておく必要がある。でないと混乱が引き金になり、ある種の認知症"的"症状になりかねないかも。

 ちなみにストーリーが悪いといっているのではない。典型が小説。恋愛小説などは甘美な物語(ストーリー)が読者を魅了するのだから。ちなみに私は高樹のぶ子の小説に引き込まれる。まずい、事実とごっちゃにしないようにせねば!



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