219. 自分の周りには年を取って怒りっぽく、キレる人ばかり
(NIKKEIプラス10月28日号より)
・・・ (2017/11/05)
日本経済新聞を購読していると、週末の土曜日にはNIKKEIプラス1という別刷りが一緒に配達されてくる。そのNIKKEIプラス10月28日号の記事を見ていた家内が、「なやみのとびら」に面白いことが書いてあるわよ、と教えてくれた。
◎ 埼玉の60代の男性からの相談ごと
年を取ると丸くなるとよく言われるが、自分の周りには怒りっぽく、キレる人ばかり。自分が丸くなるにはどうしたらいいの?というもの。
これに対して回答者の石田衣良
氏が、こんな回答をしていた。
・ 身体は長らく働いてきあせいで、どこかにガタが来ている。
・
男女のときめきから離れて、久しくなってしまった。
・ 妻に大切にされている感じがしない。
・ よほどの資産家以外は、老後の経済的不安が消えることはない。
こんな具合に、身体はくたびれているくせに、心はまだエネルギーに満ちて
いる。ほんとうの老人のように自分をあきらめたり出来ないでいる。となると結果はシンプルで、いきなり切れる「荒ぶる老人予備軍」の一丁あがりということになる、という説明。
もしあなたが切れる老人になりたくないのなら、自分の状況を客観視し、
すべてを笑い飛ばす鉄壁のユーモアを身につける必要があります。
そして最後にこう書いていました。
「年をとり丸くなる必要などありません。ごりごりととがったまま自分を笑える懐の深い老人を目指しましょう」としめくくっている。
実にうまい回答だと思う。
※ NIKKEIプラス1
・・・ 後日、こちらの「サイト
」に原文が紹介されるかと思います。
新聞を見ていると、時々みかけるのは「シニアの人が酔っぱらって駅員を殴った」というもの。自分もシニアだからなにゆえそんなに怒りを爆発させたのだろうかと推測してみた。
1.シニアの男性は、言葉で表現するのがへた
2.ふんだんに時間があると、今までは気にも留めなかったような些事が気になってくる。
3.自分の居場所が見つからない
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1.シニアの男性は、言葉で表現するのがへた
先日電車に乗ったら3人掛けのシルバーシートが空いていたので端に腰かけた。すると、多分30代とおぼわしき人が早足で電車に乗り込んできてドア寄りの端の席に座った。すぐ後ろから乗り込んできたシニア男性、3人掛けの真ん中が空いているのだからそこに座れば良いのにと思うのだが、勢いよく自分の前を乗り込んだ男性がシルバーシートにドスンと座ったものだから気分を害したのか、離れた席の空きを見つけそこに座った。
彼、よほど若手の行動がお気に召さなかったようでずっと彼を睨みつけていた。もっとも、肝心の若者はシニアの視線に気が付いてもいなかったようだが。こんな具合に、ちょっと(例えば、隣に座ってもいいかな?という具合に)声掛けをすれば良いのにと思うようなことも、その一言が出せないようだ。
定年してからやりたかったことの1つ、書道教室に通い始めた。日ごろ硬筆(ボールペンなど)を使ってきた人間に、毛筆の柔らかさに慣れるのに時間がかかった。この教室、シニア向けの公的会館の中で平日昼間に開催されている。どういうわけか、参加者は私をのぞくとすべて女性。女性たちは、書道をやっているのか、世間話をしているのか分からない。書道の先生に言わせると、書道教室に通う理由の半分はこうしたおしゃべりの場が欲しいからだそうだ。しかし、ならば、なんでシニア男性は参加しないのだろう。どうやらシニア男性は、誰か紹介してくれる人でもいないと、見知らぬ人の輪には参加出来ないようだ。まるで昔の英国紳士のように(?)
2.今までは気にも留めなかったような些事が気になってくる
知人でコンピュータ会社の執行役員までしたのち退職したゴルフ仲間がいる。現役時代は、華やかなIT業界ゆえ多忙を極めていたようだ。それが定年退職したら、時間がたっぷり。今まで新聞を読んでも、気にも留めなかったようなことが気になってきた、それどころかそれらを読み進むほどに腹がたってきたという。この方、こうしたことが体に影響したのかどうかは分からないが、定年して数年で癌になり亡くなってしまわれた。もっとのんびりと、リラックスして暮らしていた少しは寿命が伸びたのだろうか。いまとなっては分からない。
「小人閑居して不善をなす」、というが私は「老人閑居して不善をなす」ではないかと思う。定年後、仕事を始めた際、会社経営をしている高校時代の同級生にこう言われた。最大の「ヒマつぶし」は仕事をすることだ、と。定年後、自分で仕事を始めてみて”彼の言う通り”だと実感した。
些事にわずらわされ、余計なことを考えさせないようにするには、自分をヒマにしない方法を考えることだ。同級生が教えてくれたようにヒマつぶし程度の仕事でかまわないからやることなのかもしれない。
3.自分の居場所が見つからない
非行に走る子供ばかりでなく、大人、シニアでも、居場所がないと感じると不安になるものだ。40年会社という組織に所属してきた。その証に「名刺」が会社から支給される。「住居表示」だった名刺が無くなるとなんとも寂しいと思うのは誰でも同じだろう。あらたに人に出会っても、自分がどこの誰だか証明出来ないのだから。癇に障る(?)のが各種の申込書。仕事欄になんと書けばよいのか。無職と書かなければならない日が来るなんて、と憮然とすることになる。
良くあるパターンだそうだが、シニア男性は定年になるまでは定年になったら家庭が居場所、と勝手に思っている。ところが、定年になって自宅でゴロゴロしていると奥さんにうとまれる。40年も家のことを奥さん任せにしていたのだから、当然家は奥さんの居場所となっていた。奥さん達が嫌がるのは、ぶらぶらしている旦那に、「お昼御飯はなんだ」と聞かれることだそうだ。
結果、シニアになった旦那たちの行き先は、図書館となる。行ってみると分かるが午前中の図書館はシニア男性の溜まり場となっている。また、私が通っているゴルフ・ホームコースで一緒にした70代の方は、週に2〜3回ゴルフをするのだそうだ。理由は、家にいても邪魔にされるだけなので、だそうだ。(それはそれで羨ましいが)
ふと思ったのは、シニアの運転免許返上のこと。公共交通機関のない地域の人にとっては車は生活上必須。車がなければ死活問題なのかもしれない。しかし、皆が皆、不便な地域に住んでいるのだろうか。シニアの急発進事故をニュースで聞いていると、かなり都会のケースが多い気がする。もしかしたら、車に乗っている時だけが安らぎなのかもしれない。私も2年ほど、車通勤をしたことがあるのでその感じは分かる気がする。仕事が終わって駐車場へ行き、ドアを開けて運転席に乗り込むとホッとする。自分だけの空間に戻ったからだ。
もし免許返上をこばむシニアが「車の中だけが自分の居場所」だと感じているとすると、免許証を返上させるのは難しいのかもしれない。何か車に代わる「居場所」を用意しなくてはいけないのだろう。
※ TVドラマ、『キャッスル
〜ミステリー作家は事件がお好き
(ミステリー作家のNY事件簿)』より
ドラマの中で、失職したケイト・ベケット刑事が言った言葉。
「毎朝遅く起きて来て、電話が鳴るまでゴロゴロしてるなんて人として終わってる」