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201. 空を飛ぶ鳥は空気の存在を知らない、水の中を泳ぐ魚は水の存在を知らない ・・・ (2016/10/01)  


  40代、南の島、マナ島(フィジー)に魅せられた時期があった。何度か行くうちにこの綺麗な海に潜ってみたいと思うようになりダイビングのライセンスを取った。背中にタンクを背負って浅瀬で潜り、空を見上げた時が最初の感動だった。頭上に水面があり、その上に青く澄み切った空があったのだ。

 人間はアクアラング(アクアは水、ラングは肺を意味する)なる道具を発明して長く水中に潜っていることが出来るようになった。ふと考えた、私は今こうして潜水道具のお陰で水中にいても呼吸が出来ている。そうか普段私の居る世界は空気で満たされているのだ。

 こうして人間は生活している空気の世界の他に水中の世界があることも知った。まてよ、空を飛ぶ鳥は空気の存在を知っているのだろうか?(意識したことがあるのだろうか?)。水中を泳ぐ魚たちは水の存在を知っているのだろうか?

 人間は道具のお陰で異なる2つの世界を知ることになるが、たぶん鳥も魚も自分の居る世界が空気もしくは水で満ちていることを知らないままなのだろう。




 何かをしてみると新しい何かが見えてくる。山をひとつ超えてみると、空想でしかなかった山の向こう側の景色が見えてくる。エライとかエラクナイとかの問題ではなく、ただ山を一つ越えてみれば良いだけ。

 こうした考え方を従来から持っていた。定年になっても、目の前にある、超えて見たい山を探した。目の前にあったその山が「中古車輸出事業」だったということ。見つかった以上、これを超えてみようと思うのにはさほど時間はかからなかった。

 定年まで会社と言う集団で働いてきた。例えばその1つがイスラエル製の特殊ソフトだった。インターネット・コンピュータシステムの耐久性テストをやろうと思ったら、(当時は)この会社の製品を使う以外には方法はなかった。こんな製品を作ったのは私ではない、売り方を考えたのも私ではない。こうした製品、会社と出会ったお陰で売れた。そんな中で私の貢献はどれくらいだったのだろうか。

 定年後、一人で仕事をスタートした。売れればそれはひとえに私個人の力。売れないのも単に自分がヘタだからだ。

 空気の世界、水の世界と同様、二つの世界を知ることが出来たことは、とても貴重な体験だった。これ(チャレンジ)が出来るのも年金という生活保障をしてくれる制度があればこそかも。そう、何かにチャレンジするなら定年直後が最適なのかもしれない。


 




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