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200. 何でもないような事が ・・・ (2016/09/18)  


  ”何でもないような事が、幸せだったと思う”という歌は高橋ジョージの歌「ロード」の一節。しかし彼が本当にこの意味を分かったのは、奥さんと離婚した後だったのかも。

 先日、ゴルフ場に併設した別荘地を見てきた。すでに建っている数軒も見学させて貰えた。とても素敵な内装を揃え、優雅に生活している様が推測できた。外には外車が、また車庫には自分専用のゴルフカートがあった。羨ましいか、と言われればそうとも言える。買いたいかと聞かれれば、ノー。奥さんが質実剛健なこともあるが、最近私が幸せと感じるのは、もっとベーシックなことで。まさに冒頭の、何でもないような事が、幸せだったと感じているから。

 ウィキペディアに掲載されていたもの(京都府竜安寺) 


 夫婦二人暮らすのにいくら必要だろうか。家賃、そして病気や地震などのための備えを外せば、つまり食べることと着ることだけならさほど大きなお金はいらないだろう。

 どこにあるのだろうか、記憶が定かでないが、石に通貨の文様を掘ったものがあったかと思う。その石に刻んである文字は、吾、唯、足、知、と口という文字を中心に、上から右回りにレイアウトしたもの。

 どこで幸せ感を感じるかと言えば、恐らくは、「今が一番幸せ」と感じたその瞬間かもしれない。その時の感覚が、この吾唯足を知るという瞬間。別な言い方をすれば「何でもないようなことが幸せ」ということに気がつけば、その時が幸せなのだと思う。

 こんなことを言い出すのも、もしかしたら、単に私が年を取っただけなのかもしれないが。

 



 


 




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