ホーム目 次 / 前ページ次ページ       

186. シニアと犬は相性が良い ・・・ (2015/08/09) 



 息子夫婦に2人目の子供が生まれることが分かった。上の子を連れ里帰りするのに犬まで連れては行けなかった。さりとて自宅に残しても、息子が昼間勤めに出ている間、一人っきりでおいておくのが心配だった。そんなことから世話を頼まれた。結果、春まだ早い時期から7月一杯まで当家に居候していた。


 初めてこの子(メス)が当家に来たのは、まだ寒い3月だった。寒がりのこの子は、私が自宅オフィスで仕事を始めるにあたってストーブを付けると、トコトコとやってきてストーブの前に寝そべる。寒がりゆえに、ストーブの吹き出し口に顔を向けている。これでは鼻が乾くだろうと向きを変え、お尻に温風があたるようにしてやる。しかしまたしばらくするともとに戻ってしまう。(苦笑)
 こんな具合に寒がりなので、自宅オフィス内に置いたプラスチックの犬小屋に、夜は湯たんぽを入れてやったりもした。夜中に寒さに震えていないだろうかと、また冬が過ぎて春になっても寒がりなこの犬のために、フリースの毛布でくるんであげ、それに包まっているのか、私の就寝前に再度確認に行った。


 遊び道具がなかったもので、息子にそのことを話すと、ついでの時にビニール製のボールとホットドッグを届けてくれた。息子がこれでどうやって遊ぶのかを教えてくれた。廊下の奥へポイと放ると、この子が全力で走って取ってくる。朝晩、15〜20分程度散歩させるのだが、それでも足りないのかもと、これで遊び相手をしてあげていた。

 しばらくすると、この遊びに味をしめたのか(?)、ボールを銜えて、仕事をしている私のところへ来、ボールを銜えた口で私の膝をツンツンとつつく。最初は相手をしてやるが、無視していると今度は私の膝を引っ掻く。あまり繰り返されても仕事にならないので、息子に教えて貰った言葉、「ハウス!」と言ってみる。よく躾られているようで、プラスティック製の小屋にスッーと入って、(叱られちゃった〜、と)上目づかいで私を見つめる。この目に私は弱く、仕事のきりの良いタイミングでボールを拾い、「遊ぶか?」と聞く。すぐに寄ってきて、またボール遊びを再開する。

 困ったのは、このボールのお陰で(?)噛むことの楽しさを知ってしまったこと。私のパソコンデスクの下に小さなマットが敷いてあるが、そこに寝そべることが多くなった。ヒマだからか、目の前にぶら下がっているビニール製のケーブルやプラグを噛みだした。コンセントに繋いでいないスピーカセット用だったのでまだ良かったが、電気が流れているものだったらどうなったことか。今後のこともあるので、私が声を荒げて叱ると頭をすくめて反省の意を示す。これがまた可愛い。
 多分、何かを噛みたいのだろうと察し、ドッグフードを売っている店に行き探してみる。すると犬用のガムといった説明の製品が目につく。最初は歯磨き効果があるという細身のスティックでミントが入っているものを買ってあげてみた。ところがクチャクチャ噛むのではなく、数回噛んだのち飲み込んでしまった。これでは噛むことを楽しむこともないだろう。ならばと、今度は太目のもので、牛革を骨状にしたものを買ってみた。まあ太い分だけ噛む時間は長くなったものの、早々に飲み込んでしまった。どうもガムのように長く噛ませるために買った意味がなかった。


 年寄りは早起きだ。散歩に連れていくには、夏まだ暑くなる前が望ましい(特に小型犬では)。ならばシニアにもってこいのお仕事になる。この子のお陰で、朝、ドアをあけた瞬間の空気の新鮮さ、すがすがしさを感じることが出来た。この子がうちに来なければ、こんな感じを味わえることはなかっただろう。ちなみにペットに必要なものは、バランスの良い食事、快適な寝床、適度な運動、そして愛情の4つだろう。

 この子のお陰で、毎朝、毎夕、散歩をする習慣が出来た。それまで知らなかったことをいくつか発見した。1つは、近所になんとペットを飼っている人が多いのか、ということ。すれ違う人のうち女性の飼い主の人の多くは「おはようございます」と声をかけてくれた。
 発見したもう1つのことは、高級車のオーナーの多いこと。普段、自分の家のまわりを細かく見ながら周ることもない。第一、そんなことをしたら、空き巣と間違われかねないだろう。(笑) 不動産業をしている知人いわく、日本で一番外車のオーナーが多いのが私の自宅周辺なのだという。そうなのだろう、マンションの前に並んだ車がすべてベンツであったりした。恐らくは、登録台数でもトヨタ車より欧州車(ベンツ、BMW、VW)の方が間違いなく多い。ある日、普段は閉まっているシャッターが開いている家を見ると、なんとその中に2台のスーパーカーを見つけた。1台は、フェラリーでもう1台はランボルギーニだった。なんとまあ、お金持ちの多いこと。


 夏場の暑い時期は、家に残していくのが心配で、防犯上の心配もよそに、日当たりの少ない部屋の窓を大きく空けたまま出かけたりもした。勿論、扇風機を回し、水とヒンヤリシートを曳いておいて。

 まあこんな具合に長く預かったもので、この子の世話をすることが日々のルーティンになっていた。家内が「いっそ、私にこの子を貰えませんか?と聞いてみたら?」と。しかしそれはないだろう。1つには、息子の嫁さんが大事にしている犬。多分、喜び、悲しを共有してきたのだろうから、その意味でも大切な家族なのだろうと推測するから。もう1つは、私は子供の頃、犬を、また家族が出来てからは猫を飼った。ペットの寿命はどうしても人間よりは短い、ということは死に目に立ち合わなければいけなくなるからだ。

 犬の死は、私が大学に行っている間の出来事(朝方)で帰宅した時は、火葬され骨壷に入った状態だった。ゆえに死に目にあわず、いまひとつ実感をせずにすんだ。しかし猫の時は違った。あとで分かったことだが、どうやら癌だったようだった。最初は足を曳きづるようになったもので、ケガをしたのかと思った。しばらく獣医さんに通ってみたが病名も分からなかった。まだ3人の子供たちも我々夫婦と一緒に暮らしていたが、皆が心配した。食事が出来なくなった時期には、2番目の娘(管理栄養士)が寝たきり患者さんようの栄養剤を用意してくれ、それをスポイドで飲ませたりもした。
 1カ月以上、獣医さんの水分補給の注射で生きつづけたが体はガリガリに痩せてきた。最大の山場は、安楽死をさせるかどうかの判断だった。子供たちは私の説得に、最後には「仕方ないね」と言ってくれたが、家内が最後まで無言の抵抗を示した。その決断をすることがあまりに辛かったのだろう。最終的には私が悪者になって、獣医さんに連れていった。私の決断で安楽死を選んだのだから、あの世に見送る瞬間も立ち合った。処置後、まだぬくもりのある遺体を抱いて帰ろうとすると獣医さんが領収証をくれたが断った。家内に辛いことを思い出させるものは少ない方が良いのだろうから。数日して、この獣医さんからお花が届いた。家内は、それまで勤めていたパート先を辞めた。ペットロス症候群という病名(?)があることをこの時知った。

 なんだか話が長くなったが、かかわらざるを得ない家族(親)の死は受け止めざるをえないが、あえてペットまではやめとこ、ということだ。余談だが、世のなかには引き取り手がなくて保健所に始末されてしまうペットが多いと聞く。もし私がペットを持つならば、(そもそも家族の一員となる、犬や猫を売買することそのものに違和感があるので)ペットショップなどへは行かない。引き取り手の無い、ペットの中から選ぶだろう。


 最後に。話がそれるが、フランシス・コッポラの「フランケン・シュタイン 」という映画を見たことがあるだろうか。あの映画の最後の部分で、死んだフランケン・シュタイン博士を怪人が火葬にしてあげるシーンがあった。怪人の言った言葉が心に残る。「愛がないのになぜ(私を)産んだ」と。
 ペットは勿論だが、自分の子、自分が好きになった相手の子を、いとも簡単に殺してしまう親がいることに驚かさせられる。愛もないのに何故、、、と問いたい。縁あって付き合うことになったのであれば、子供であれ、ペットであれ、愛を持って接したいと思う。(それが出来ないのなら、誰に対しても、愛など求めないことだ)










ホーム目 次 / 前ページ次ページ 
 

inserted by FC2 system