185. 創業は繰り返してこそ企業は成長する ・・・
(2015/06/28)
西葛西(江戸川)、桜土浦(茨城)、(武川)熊谷、そして、ときがわ町(東松山)、、、など。これだけでは何のことが分からないですよね。実は中古車を仕入れるためのオークション会場がある所なんです。こんな具合に、市場(東アフリカ)からのニーズによりフィットした商材を、しかも安く仕入れるために、その時々で最適な場所を選択しなおしたため、たった5年の間でも、あちこち場所を変えて通った訳です。
もうかれこれ30年の付き合いになるソフト開発者がいます。有限会社という形態で十分と、30年間、基本一人でソフト開発をし、大企業にOEMをしてきた。彼(私より一回り若い)とは年に数回、自宅に来て貰って酒を飲みながらおしゃべりを楽しんできた。その彼に現状を話したところ笑いながらこう言いわれました。「ハードウェアを扱う分野では、大資本がものをいう、気が付かなかったの?」と。彼いわく、「だから自分はソフト開発をやっているんだ」と。ソフト、それも自分のようにハードとソフトの境目、ニッチな部分をやっていれば、良いもの(ソフト)が開発出来さえすれば、たとえ小さな企業でも十分やっていける、とのことでした。その後の話で、彼がやりたくても出来ていなかった海外企業へのOEMの売り込みを手伝って欲しい、ということになった。
ある時代から、多分50歳以降だったかと思うが、外資系企業のトップから声をかけられて転職し、創業もしくは立て直しを繰り返してやってきた。通常なら提出する履歴書は、採用されてから提出するのが常だった。というのも、それら社長と懇意にしていた為、彼らにしてみれば、私に何を期待出来るのかがはっきりしていて、履歴書の提出などは必要なかったのだ。(採用されてから、人事担当から事務処理上の必要から提出を求められたが)
こんな具合に、私の強みは「人脈」。こうした人脈がおおいに私の未来作りを助けてくれてきたが、今回も再び人脈のお陰で道が開けそう。
不思議なもので、ソフト開発者から協力を依頼されたた時期を同じくして、今まで停まっていた中古車輸出の仕事が動きだした。東アフリカ向けの在庫処分が進めば、競合をさけて別な市場を、例えばニュージーランドをと思っている。(東アフリカ向けは、大量仕入れ、大量販売に向くが、ニュージーランドは品質チェックが厳しいため、それが出来ずらく、勢い大資本が手掛けにくい市場)
こちらも不思議な出会いがあった。あるオークションに、友人に頼まれたホンダS2000を出品した時だった。その車を熱心に見ている人がいたので、声をかけた。分かったのは、彼ら(ご夫婦)は中国から日本の中古車市場を下見に来ていたのだった。彼らはニュージーランドへの移民を希望していて、現在まで中国でやってきた中古車(欧州車)販売の経験を生かし、ニュージーランドへ行ってからも、中古車販売を手掛けたいという。(ニュージーランドが輸入している中古車の9割が日本車)
彼らは、日本で仕入れを担当してくれる代理店探しをしているのだとか。(インターネットで車選びは出来るが、現車確認をせずに仕入をすることはリスクを伴うので) そこでたまたま出会った私に期待をし、その後も来日してきては私と中古車を一緒に見てまわった。その彼らも、まもなく移民のビザが下りるのだとか。ようやく具体化へと進めそうだ。
これまた不思議なもので、かつての同僚(私より20歳若い)の一人がニュージーランドに住んでいる。上海出張のついでに一時帰国し、大阪の実家に行くのだという。一日、東京にも立ち寄るので、朝食を一緒出来ないかと打診があった。彼にニュージーランドの現状について教えて貰ったが、現地では移民同士の結束があるようだ。つまり、先の中国人のご夫婦も、中国からの移民を相手にそこそこ商売になるはず、という。またそう説明してくれた彼自身も、中古車輸入に興味を持っていて、まずは奥さま用に個人輸入を経験してみたいと思っているようだ。
※ニュージーランドには自動車製造産業はなく、新品、中古ともに海外からの輸入に頼っている。またオーストラリアも国内製造を止めると決めたため、ニュージーランドをモデルにし、新車、中古車を輸入しようとしている。
定年後創業し、たった5年で仕事の限界が見えてきたわけだが、そもそも考えてみれば、(それまでは外資系IT企業でセールスを担当し)自動車の専門家でもない私に新規参入が可能な程度のノウハウしか必要とされない事業は、他からの新規参入も容易なのだろう。また、前述のように、モノを扱う世界では資本力がものを言うわけだ。そんな中で今やろうとしていることは、従来と同じ中古車輸出であったとしても、大資本が参入しづらい、まったく異なる市場へと売り先を変える。また、従来がモノを扱っていたのであれば、今度はソフトを扱う事業へと方向転換をすることの二面作戦だ。
考えてみれば、大きく成長した企業は、何度も第二創業、第三創業をと繰り返し、そして成長してきている。その典型が皆さんご存じのソフトバンク。ほとんどの人はソフトバンクと言う社名を聞くと「携帯電話の会社」と答えるだろう。
ソフトバンクの孫さんは、アメリカ留学時代に1日に1件の発明をという義務を自分に課した。その中の1つ、電訳機を持ち日本に帰国、シャープに売り込んだ。それで得た1億円でソフトバンクを起業したのだった。当時、パソコンショップは、1社、1社ソフト会社に連絡をして、ソフトを買い集めていたのだった。孫さんは、本・出版の世界同様、取次店、つまり日販、東販のような機構がこの世界に必要になるはずと起業したのだった。そこからヤフーを日本に持ってきたり、ジブ・デービスというIT関連のイベント会社を買収したりして大きくなった。その中で皆さんの記憶に鮮明なのがボーダフォン(携帯事業)の買収だろう。当時、世の中のほとんどは、孫さんの携帯電話会社買収は失敗するだろうと否定的だった。しかし、彼はそれを成功させ、その後も次々と企業買収、事業提携を続け、成長を続けている。もはやソフトバンクを、パッケージソフトの取次事業会社と思う人はいないだろう。(ソフトバンクの沿革は「こちら」にリストされています)
こんな具合に、成長とは必ずしも1つの事業分野に留まることではなく、1つの成長の上に次の成長・次の事業を積み上げていくもので、結果、起業初期のビジネス分野とは違ったものになったとしても構わない。私のやっている事業などちっぽけなものだが、こうした原理、原則からみれば、大きいところも、小さいところも、やるべきこと、必要なこと、は同じなのだろう。