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182. 世界に通用するとは? ・・・ (2015/05/24) 

 トヨタ自動車とマツダが環境技術を軸に幅広い分野で「提携」する。これを冷ややかに見る向きも多く「規模でマツダの10倍近いトヨタにとってメリットはあるの?」とか、「マツダはせっかく米フォードの支配下から抜け出したのに、トヨタと提携したら飲み込まれちゃうのでは?」と言った反応だ。それに対する答が日経新聞5月18日号、企業欄に出ていた。それによればこの提携で享受するメリットはトヨタの方が多い、というものでした。意外でしょ?

 日本国内ではハイブリッドが主流になり、更にいずれは電気自動車、水素自動車が主流になる、という議論。ところが世界レベルでみると、ある調査によれば2030年時点でも主流は通常の内燃機関(ハイブリッドも動力のメインは内燃機関)が90%を占めるというもの。ハイブリッドが売れ、国内トップを走っているトヨタも海外では必ずしも優位ではいられていない。前述の新聞記事によれば新興国向け戦略車「エティオス 」はインドでは見向きもされなかったと聞く。また北米市場向けのサイオンブランド (トヨタブランドに加え、高級車のレクサスブランドに続く第3のブランドとして展開され)は若者向けスポーティ・モデルを投入しているが、苦戦している。そこで投入したのが、マツダからOEMされ、サイオンiA。そのもとになったマツダ、デミオには、高い内燃機関技術の粋、スカイアクティブが組み込まれている。

 資本関係のあるダイハツがトヨタの小型車の一部を生産しているのは知っているが、それはダイハツにはトヨタの資本が入っているから(連結子会社で、販売台数や決算などを親会社のトヨタに混ぜることができる)。しかしマツダとの今回の提携には資本出資は含まれていない。あくまで「提携」なのだ。

   






 偶然書店で見つけた本がこれ。マツダの新型エンジンの開発者、人見光夫氏が書いた「本、答えは必ずある」だ。たった30人の開発スタッフで新型エンジンを開発するために、彼が考えたのは「選択と集中」。長い歴史を持つレシプロエンジン(reciprocating engine)つまりピストンエンジンは今以上に性能を上げる”のりしろ”などはもう無い、と世界中が考えていた。それを日本国内の2番手規模の会社マツダが独自に開発してしまった。振り返ってみればドイツで開発され、そのドイツですら市販車として成功し得なかったロータリエンジンを、世界で唯一市販車両に育てあげたのもマツダ。粘り強く不可能を可能にしてしまう技術者魂がマツダにはあるのだろう。 

 私の好きな自動車評論家の三本 和彦氏が日ごろ言われていた「エンジニアと雑巾は絞れば絞るほど水/知恵が出る」を思い出したが本当なのだ。

 さて、この本によれば内燃機関の究極の効率を求めれば、ガソリンエンジンもディーゼルエンジンも方向性は同じで7つの因子(圧縮比、比熱比、燃焼期間、燃焼タイミング、壁面熱伝導、吸排気工程圧縮差、機械抵抗)を理想に近づければ理想に近づくことが出来るのだそうだ。実際これでマツダではハイブリッド車並み燃費の高燃焼効率ガソリンエンジンを開発し、それとと一緒に高燃焼効率のディーゼルエンジンをも開発してしまった。


 話をもとに戻し前述の日経新聞記事によれば、マツダが CX-5 (4WDディーゼル車)をリリースした際、トヨタの会長、豊田章一郎氏が「なぜうちにはこうしたものが出来ないんだ」と開発陣を叱咤したのだという。ちなみに日本でエコカーと言えばハイブリッドを指すが、ヨーロッパではエコカーと言えばディーゼル車を指している。実際、高級車のシンボルと言われているベンツやBMWにディーゼルエンジンを搭載したタイプがどんどん輸入されてきている。

 日本やアメリカではハイブリッド(高度にコンピュータで制御する必要がある)が主流になったとしても、発展途上国など世界の大勢は従来型の内燃機関をレベルアップしたもの、つまりマツダが開発したスカイアクティブのような従来型エンジンの発展型が主流になるだろう。

 とまあ、日本は勿論、世界でもトップランナーであるトヨタとしても、すべての分野を網羅することは難しかったようだ。またエコカーエンジンはハイブリッド(ガソリンエンジン+電動モーター)で解決とトヨタ社員すべてが考えてしまうと、既存のガソリンエンジンをより効率化出来るはずといった議論かかき消されてしまったのだろう。かたやマツダは、なまじ自社でハイブリッドを開発する余力がなかったお陰で、既存エンジンの高効率化に成功したのもなんとも皮肉だ。

 ところで、NIKKEI TRENDY 最新号に、開発者、人見光夫氏の上司にあたり、社内を調整し、人見氏開発のエンジンに日の目を見させた仕掛け人、藤原常務が対談で語っていたが、ここに至る過程は、江戸幕府、そして明治維新のようだったと語っていた。ご興味のある方はこちら「前 編」と「後 編」をどうぞ。面白いですよ〜。


<編集後記>
 大国の定義を国土面積、人口、軍事力、経済力などで定義するならば、日本は今後とも大国にはなりえない。そんなことを考えるにつれ、日本にはマツダのような生き方が合っているのではないかと思う。人見氏のように「答えは必ずあるはず」と信じ、やるべきことをしっかりやる。また、そうした人材を活かすべく、必要なら強い相手と喧嘩をしてでも実現に向けて動く藤原氏のような上司の存在(実際、藤原氏は、フォードと何度も喧嘩をしたそうだ)が不可欠だろう。
 私自身、勤め人時代の終盤10年は外資系にいたが、日本法人トップがどちらをみて仕事をしていたかで社員の幸福度は違ったものになった。つまり日本人、日本市場を見据えて米国本社と渡り合うのか、それとも米国本社の顔色を見ながら日本人社員、日本市場を調整しようとするのかの違い。そうして考えてみると、今の政治はどうも後者の形で動いているようだ。




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