176. シニアの居場所の社会学
(PartII) ・・・
(2015/02/01)
「居場所とは、客観的な状況がどうなっているかではなく、本人がそこを居場所と感じているかどうかによってしか測ることのできない極めて主観的なもの
」と説明をした。こんな話を家内にしたところ笑いながら言われたのは「究極の自己満足ね?」でした。
確かにそうとも言える。少し違うのが、自己満足だけでは長続き出来ないだろうと思うこと。前回のマズローの欲求5段階説ではないが、自分は満足していて、更に周りもそれを認めてくれることが必要になってくる。
アメリカ合衆国の心理学者・アブラハム・マズローが、「人間は自己実現に向かって絶えず成長する生きものである」と仮定し、人間の欲求を5段階の階層で理論化したものである。
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ではどうしたら自己満足+周りの人からの認知・承認が得られるのだろうか。以下は、アメリカの心理学者ジョセフ・ルフト (Joseph
Luft) とハリー・インガム (Harry Ingham) が発表した「対人関係における気づきのグラフモデル、「ジョハリの窓 」と呼ばれるもの。
人には心の窓が4つある。1の窓は、私も相手も分かっている部分。2の窓は私は分かっていても相手は分かっていない部分。3は反対に、相手が分かっていることを私が分かっていない部分。そして4の窓は、相手は勿論、自分すらも分かっていない部分。
人がコミュニケーションをとることは、2、3および4を、1の部分、「相手も、自分も、分かる部分」へ移行させるための活動だという。阿部真大氏が著書「居場所の社会学」で書いているのは「居場所とは、ぶつかり合いながら、時にはひとりで、時にはみんなでつくっていくもの」と。昨今は、一個人であっても、企業と同じようにインターネット上で簡単に情報発信をすることが出来る。これを利用しない手はないのだと思う。
話は変わるが、その昔流行った歌に因幡晃の「わかって下さい」がある。その歌の一節に「涙で文字がにじんでいたなら、分かってください」がある。日本人のメンタリティーにフィットする好きな歌だ。しかし男の現実がこれではあまりに女々しいでしょう。”もし自分以外の誰かに自分のことを分かって貰いたいと思うのであれば”「分かって貰うための努力」、「自分以外の人に伝える努力」は必要と思うのだがシニア世代の諸氏はどうお考えでしょうか。
<編集後記>
日ごろ心がけていることが2つある。1つは自分をヒマな状態にしないこと。2つ目は、誰か自分以外の人をハッピーな気分にしてあげることが出来ると自分もハッピーになれると思うこと。