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164.オヤジの背中   ・・・ (2014/06/29)

 
 最近、立て続けて高校の同級生(7人)、大学時代の同級生(9人)と会う機会があった。その中の二人と別な機会に再度会った。ちなみに一人は高校、大学と同級生、もう一人は大学の同級生でした。そこでの話は自然と先日の集まりの話になった。

 同級生達は職業的に3つに分類される。1つは地方公務員、1つは民間企業、もう1つは民間企業をある時点で辞めて会社経営を始めた者の3パターンだった。話題は同級生で二人、民間企業時代に不遇な時を過ごした者がいて、定年後は人に使われるのにはもう懲りたと年金生活をしている者だった。私にしてみれば二人とも成績は私などよりずっと上で、いずれも大手企業に勤務していた彼らがなぜ勤め人生活で上手くいかなかったのか、だった。

 経営者になっていた二人によれば、二人とも、父親は大手企業に終生勤め、満足の中で定年を迎えていた。どうやら彼らの仕事に対する考え方はそうした親世代から受け継いだもののようで、二人とも就職志望は大手上場企業だった。本来であれば父親同様に定年まで無事に勤めあげるはずだったのだろう。具体的には何があったのかは分からないが、二人ともどこかで歯車が狂って流れから外れたようだった。
 親の世代は日本も高度成長の時代で、真面目に勤めあげれば会社もきちんとそれに応えられた時代だったのだろう。しかし我々、団塊最後の世代には企業も以前のようではなかった。一生懸命会社に貢献すれば会社も悪いようにはしない、というのはもはや幻想だったのかもしれない。理想と現実が違ったことが背景にあったようだった。



 もしかして(親である)私の仕事に対する考え方を、子供たちなりに受け取り、それが万が一間違った方向へ走らせることになってはいないかと心配になってきた。

 IT企業でマネジャーとして働く長女はこう言った。職場にも合う、合わないがある。合わないものを我慢し続けるネガティブな努力するより、転職してあらたな職場でポジティブな努力をしたいと思う。この部分は、親である私が「(給料の多寡というよりは、むしろ)自分のやりたい何かが新たな場所(会社)にあるのかという基準で、数回の転職をしてきたこと」を見ていたからだという。

 長男は誰に似たのか堅実派。大学は建築家へ進んだがその理由が「男は家庭を支える必要があるので堅い仕事が良いのだ」と聞いた時は驚いた。まったく私の発想とは違っていたからだ。それが卒業するころになって就職する先に希望するような業種がなかったようで迷い始めた。ならばと「1年くらいなら留学させてあげられるけど、どう?」と私から提案。この提案に喜び、さっさと内定を断り、オーストラリアの留学先を決めてきた。まずは語学コースへ。その後、州立のデザイン専門の学校へ進んだ。結果、1年という話のはずがアルバイトをしながら4年半も滞在し、最後の半年は学校の先生の助手として働いた。

 一人で4年半の豪州留学生活は彼を(特にメンタル面から)鍛えたようだった。帰国して職探しをし、規模は小さいが希望の外資系 C I (コーポレートアイデンティティ)コンサル企業に職を得た。そこで3年がんばったら転職エージェントから声がかかった。なんと仕事ぶりを認めてくれた得意先が、エージェントを通じてハントしてきたのだった。その後この大手(外資系)に移り給料も上がったようで、付き合っていた女性と結婚し、家を建て、そして長男も誕生した。

 振り返ってみれば、私が1年のアメリカ留学から帰国し、職探しをし、以前から付き合っていた家内と結婚し、1年後娘が生まれたその時とオーバーラップしてきた。今の彼を見ていると私をスケールアップしたような形で勢いに乗っている。私の人生は私自身が作ってきたのと同様、彼の人生は彼が作るしかないのだから、今は転ばないようにと願いながら見守っている。


 


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