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162.今やらなくて、いつやるのですか?  ・・・ (2014/05/11)




 こちらは政府が発行している統計資料。確か来年あたりで人口に占める65歳以上の人たちが1/4になるという。それが、2050年には65歳以上が人口全体の1/3を締めるようになる。

 人口ピラミッドくらい先の予測が簡単なものはないだろう。左の図で言えば、下から順に上へ繰り上げていくのだから。


 政府では「少子化担当大臣」などというポジションを作って対応をアピールしているが、少なくとも実効はない(結果から見れば、そう言いきってよさそう)

 こんな具合に政府に何かを期待しても大きな変化は望み薄。若年層については、自分たちの息子や娘に「孫の誕生」を期待をするしかない。我々シニアが出来ることと言えば、彼らの子育て支援をすることくらいかも。

 もっとシニアがやるべきことは、息子や娘に頼るのではなく、自分の身は自分で守ることだろう。予算は限られたパイの分配、ゆえに(左記のグラフ)こうした時代になれば、好きも、嫌いもなく対応を迫られることになるのは明らか。具体的には、シニア層に向けて用意されていた予算は削られ、若年層に振り分けられる。この時になって見苦しい対応は取りたくない。孫たちのより良き世界作りのためには、譲らざるを得ないだろう。


 曽野綾子さんの本にもあった「人類は有史以来、死ぬまで働くのは当たり前だった」は、再認識する必要があるだろう。年金支給開始年齢は引き上げられ、もしくは減額されることは想定内のこと。よほどの金持ちでもない限り、「余生を趣味や旅行に生きる」は不可能となる。

 ここで考えどころは、お上から押し付けられたと受け止めて働くのと、自分の希望として働くのとどちらか楽しそう?ということ。この人口ピラミッドを見て、シニアの世代は、人に押し付けられた形で人生の終盤を過ごすのではなく、自分の希望、生きがいとして何かを始めることを選択することがあるべき方向のように思えています。

 人生は「重ね塗りの世界」。一番上に塗られた色だけが現実として残る。別な言い方をすると、以前はどんなに幸せだったとしても、晩年不幸だったりすると、その人は、神様?仏様?が迎えに来た際は、「あ〜、オレはなんと不幸せだったのだろう」と思うだろう。なぜなら、彼の記憶に鮮明なのは、直前の記憶なのだから。

 であるならば、若い頃苦労したとしても、晩年を自分の「意思」で前に向いて生きることが、死ぬ直前に「あ〜良かった〜」と思えるのかも、と考える。偉そうなことを言っているが、正直自分にも分らない。分からないから、試行錯誤の毎日を過ごしている。




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