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161.自分を変えられるか  ・・・ (2014/04/27)

 季節が変わって花粉症が再発し、耳鼻科へ行って薬を処方してもらった。(ジェネリック薬なので)名称は違うがモノはテレビ等で宣伝している「アレグラ」だった。この耳鼻科、初めていった診療所だった。以前行っていたのはJRの駅近くで、20年くらい通っていたかと思う。診療所を変えた理由は、以前行っていた医院はお医者んが高齢となったことからの閉院だった。たしかに、最後にこの診療所を訪れた際、医師は歩くのもおぼつかなくなっていた。

 振り返ってみると、一度信頼した診療所、歯科医は頻繁に変えたりはしない。変えたのは、前述のように個人診療所で医師の高齢が理由で診療所そのものを閉鎖されたからだ。

 こんな私だが、変えるべき理由があれば、変えることにやぶさかではない。私の知り合い2人。自宅を引っ越しても以前行っていた床屋さんに通っている。多分、電車に乗って1時間程度かかるにもかかわらずだ。この感覚は私にはない。記憶をたどってみても、床屋さんは結構、自宅を引っ越した時などは近場の床屋さんに切り替えている。自分の好みに合う、合わない、はあるだろう。しかし、行ってみなければ分からない。ダメならば、次回はそこへは行かなければ良いだけ。


 さて、イントロが長くなったが、状況に自分を合わせることが出来るかどうかは、個人事業では結構大きな違いを生むような気がする。以前、会社勤めを辞め、フリーランスになった方が書いておられたが、「自由業とは自分が自由になることではなく、相手が自分を自由に使うことが出来ることだ」と定義されていた。言い得て妙である。個人事業主も同じようなものだと思う。まあ、個人事業主は、考え方によっては一国一城の主でもあるので、イヤなことはやらなくても済む。済むがそれでは存続は望めないだろう。

 たとえば、中古車輸出ビジネス、バイヤーさんは、ああしろ、こうしろ、とは言わない。言わないが彼らの求めているものははっきりしている。「好みの車を、とにかく安く提供してほしい」だ。相手からの要望に応えられなければ事業は縮小し、ついには事業中止に追い込まれる。

 さて、この「好みの車を、とにかく安く提供」はどうすればよいのか。中古車輸出ビジネスの場合、安く仕入れるコツは、仕入先の選択肢を複数持つことがその1つだと思う。日本から海外に車を輸出する場合の積み出し港は、南から順に、博多、神戸・大阪、名古屋、横浜、そして限定的に茨城の常陸那珂といった港から(茨城より北には海外への積み出し港はない)だとすれば陸送コストを抑える意味でも、港に近い中古車オークション会場から中古車を調達し、そのまま最寄りの港へ陸送すれば良いことになる。

 さて、ここで問題なのは、前述の床屋さん以上に、それぞれの関係先にクセがあるということ。一般の方には縁がないと思うが、中古車オークション会場は全国あちこちにある。大小いろいろあるが大手さん、たとえばTAA(トヨタ・オート・オークション)のようはところであれば、取引も公正で対応も均質化している。TAAなどはデータブックなる過去の相場情報を小冊子にして無料配布してくれているので、同じTAAグループの中で、どこが安いのかの情報も簡単に手に入る。

            ※ 以前、ゴルフコンペに参加したのも、社員の方からお話を聞きたかったからなのです。「こちらのページ



 問題は(輸出手配を代行してくれる)乙仲さん。結構古い体質の業界のようで、また中古車輸出分野専門の乙仲さんには小規模事業者も多い。そこに我々のような素人が参加すると面倒そうに扱われることがままある。まあ実際、こちらが素人なのだから、たとえ当方が客の立場であろうとも、頭を下げてお願いをしなくてはいけない。

 上記TAAなどを使えば仕入の全国展開は可能となる。ただ、乙仲さんは全国ネットではないので、それぞれのTAAの中古車オークション会場最寄りの乙仲さんを探し、そこに取引のお願いをしなくてはならない。ここで更なる課題が出てくる場合がある。大手さんではないので、人材の質が均質化していないのだ。一般に、新たな取引先には新人担当者があてがわれる場合が多い。こちらも素人、あちらも素人では、仕事が円滑に進むかどうかは微妙。

 ここもこの課題をクリアする方法は無くはない。この乙仲さんを以前から使ってる同業者に相談してみることだ。ベテラン事業者にはベテランが対応しているので、その担当を紹介して貰い、指名して対応をお願いすることで無用なトラブルを回避出来る。ここで大事なのは、この事例のように、ノウハウ(know how)も大事だがノウフー(know who)、つまり誰を知っているのかがとても大事だということ。


 さて、さて、話が散漫になってきたのでまとめてみよう。60歳でサラリーマン人生を終え、そこから個人事業主としての人生が始まったのだが、そこで必要なのは自分を変えていくこと。個人のこだわりを否定はしないが、引っ越し以前の床屋でないとイヤ、といった嗜好を仕事に持ち込んだのでは、事業の柔軟な拡大は望めないだろう。

 自分を変えていくことを受け入れ、新しい自分発見することを楽しい、面白い、と考えられるなら個人事業は苦労はあるものの実りあるものになると思う。サラリーマンだけをしていたのでは分からなかった新しい世界を体験出来て良かった、と思っている。





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