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148.リーダーになるともフォロワーになることなかれ  ・・・ (2013/11/10)

 どうもシニアの生き方について、これほど明確に書いている作家を他に知らないもので、再び曽野綾子さんの本から引用します。



  誰にでもある凋落の季節を、どう過ごすのか(人にしばられず、自分をしばらない生き方、より)

 ありがたいことに老年の衰えは、誰にもよく納得してもらえる理由だ。その平等の運命を敢然と受け止めることが老人の端正な姿勢だと私は思う。最盛期を体験するのも恩恵だが、悲しさを知る時期を持つのも、人間の生涯を完成させる恵の一つなのである。

 体力、財力の、当然の変化を、社会の冷遇だとか、弱者の切り捨てだとか、いう言い方が最近流行って来た。再び言うが、政治が国民の生活を引き上げる努力をし続けることは当然の任務である。しかし個人としては、誰にでもある凋落の季節を、その人の哲学で処理せず、社会の流行の考え方で扱うのは、自分の財産か生涯の一部分を安易に失うのと同じような気がする。


 
 さて、さて、あなたはこれを読んでどうお感じになったでしょうか。


 話し変わって先日NHKで放送したシニアについての特集番組。番組の途中での話は、どうやらシニアの定年延長が若者の職を奪っているのでは?との話の進みでした。しかし、これに対しては、ヨーロッパのある国で定年時期を早める政策を実行してみたが、若者の雇用は促進しなかった、というのである。

 こんな議論から提案があったのは、若者も、シニアも、雇われることだけを期待するのではなく、自ら事業を起こすことを考えなければパイは広がらないのでは?という話へと展開していった。私も賛成である。

 こう言うと、お前は定年後起業したからそんなことを言うのだろう、と言われるだろう。私の返事としては、「その通りです」とお答えするでしょう。反対に、自ら事業を起こすべし、と言える自分にしておいて良かった、と思います。


 さて、さて、話は更に変わって。映画「フェイスブック」がテレビで放映された。一度、映画館で観ているが、あらためて観ても感動的でした。若い頃、これほど寝食を忘れてしまうほど打ち込める何かが持てるなんて、なんて羨ましい、と思う。私は昭和25年生まれゆえに、パソコンの黎明期には既に30歳で結婚して子供もいた。当時、アスキーやソフトバンクを引っ張っていたトップ達は皆20歳そこそこで勿論独身。彼らは、それこそ寝食を忘れてしまうほど夢中になり、業界をリードしていった。

 (私は)文化系の人間であったがゆえに、また、生まれが彼らより少々早かったがゆえに(?)それら波に乗り切れなかった感がある。それでも誕生してまもないIT産業(当時はパソコン産業)に転職を果たし、なんとか業界の末席に陣取った。そこでがんばり、40歳以降は主に外資系コンピュータソフト会社をいくつか経験したのち定年となった。それなりに仕事もしてきて、年収も、そこそこまで行った。しかし、どこかで燃え残りがあるのかもしれない。それが、シニアになって、自分で何かをしようとスタートした時の原動力の1つになっているのかもしれない、と最近になって気がついた。


 世の中での生き方として、流れを作ってくれた人の、その流れに乗る、というのもひとつなら、小さくとも自分で流れを作ってみたい、というのもひとつ。今まで経営者になってみたい、などと思ったことはなかったのだが、60歳を過ぎて、まさに「遅ればせながら」という感じでスタートした仕事、苦労の連続だが、私の性格からすると、きっとこうしたことの積み上げでしか、満足感は得られないのだろうと思う。





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