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134.「ないものを数えず、あるものを数えて生きていく」 曽野綾子 著  ・・・ (2013/02/17)

 目次  (セブンネットショッピングより)

1 「ないもの」を数えず、「あるもの」を喜ぶ生きかた
2 「不幸」を知るということ、「幸福」を知るということ
3 高級な生きかたのすすめ
4 コンプレックスによっても「才」は生まれる
5 人はみな、迷いがあっていい
6 本能が磨かれるとき
7 どうすれば混沌と苦境から立ち直ることができるか
8 人は完全な善にも悪にもなれない
9 悲しみを分け持つことで、もたらされること
10 感謝する才能、人を尊敬する才能を失わないために

 


 曽野綾子さんの著作で、定年前に読んだ本と言えば、「神の汚れた手」くらいだったかと思います。それが定年後は、とても心に響くようになり、何冊も読みました。最近読んだのが、コレ、 「ないものを数えず、あるものを数えて生きていく」 です。

 その中から、私の印象に残っている部分をいくつかご紹介します。


 私は働くことを、働かされる、と受身で感じる老人にだけはなりたくない。死ぬ日まで老人としてお役にたてる健康を望み、それが可能になる社会を逆に作ってほしいと願っている。私は幾つになっても人生を能動形でとらえ、他人のために最後の働きをさせて頂くことを光栄と思いたいのである。それが私にとっての幸福の形だからだ。そして私と似た考えの人が少数でもいるのなら、そのような考え方の人の好みも、また生かして頂きたいと思う。

 今の私の心境にもっともフィットするくだりです。


 人間は、二つに一つしか選ぶ道はない。自分がわからなかったら専門家に任せるか、それとも自ら選んだ運命に賭けるか、である。
 賭けの要素の非常に希薄な分野はたくさんあるが、賭けの要素が全くない事態など、この世に一つもないのだ。だから敢然と不運をも見込んだ将来を承認しつつ、現在のよさを取るというのも、私好みの生き方だ。
 それで運がよければ最高に笑える人生が手に入るのである。


 個人事業主として仕事をしていると、このあたりにも感じるものがあります。


 三メートルしか歩けなかった人が、百メートル歩いたら、それはエベレストに登ったことと同じかもしれない。
 人にはそれぞれの山頂がある。神はそれを個別に見守る役である。もし神がなかったら、百メートルしか歩けない人は死ぬまで一人前でないことになる。しかし神の評価で見ると、その人は最高の登山者なのだ。


 




 余談ですが。右の写真は、私のFacebookページと交流のあるアフリカの人たちのページに登場した写真です。

 私の母、92歳はとてもモノを大事にします。先日もふと足元を見てみると、靴の底がすっかり磨り減ったものを履いていました。「捨てたら?」と言っても、とても履きやすいので捨てられないのだという。

 そんな母に、この写真を見せたらとても感心していました。上には上がいるものだと。





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