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130.「砂漠・この神の土地」 --- サハラ縦断記 ・・・ (2013/01/13)


 定年になって以来読んだ本の中で、曽野綾子さんの本の何冊かがとても心に響いています。今回はこの本、「砂漠・この神の土地」 がそれでした。本が出版されたのが1985年、実際の旅行はそれに先立つこと1983年だという。男性5人とSUV2台に分乗し、フランスを皮切りに地中海を渡り、アルジェから南下し、アルジェリア、マリを通過してコートジボワール(象牙海岸)のアビジャンまでの8000kmを旅するというもの。写真を見るとメンバーは皆若い。面白いのが団長、その後ピラミッドの発掘で有名になった考古学者、吉村作治教授だったことだった。

 この旅行での記述が、まさに私が直面している異文化との驚きの背景が記してあった。それをいくつかご紹介しましょう。

 人を信じない世界は、思いのほか爽やかである。日本人のように人を信じ過ぎると、小さなことも裏切りと思え、傷つく。しかし私たちのように人を信じないと、当たり前のことも幸運の兆しとなる。部屋が予約通りとれていた!飛行機から荷物がちゃんとなくなりもせずに出てきた!盗まれもせずに!この幸福は、初めから、予約の部屋はあるのが当たり前、荷物は自分の下りる土地の空港でちゃんと出て来るのが当たり前、と信じきっている想像力の貧困な善人には、というてい考えられないものであろう。


 また、広大な砂漠を旅するということ、それを作家らしい素晴らしい文章力でこう書いている。

 岩漠で野営する夜、いつも私たちは岩陰に寝る。こういう生活に関して、日本人の体験は極めて貧しいから、キリスト誕生の夜の、絵本の情景を思い浮かべるほかはない。

 砂漠の夜空は、自然の星と、流星と、人工衛星の、壮大な交響曲であった。こういう言い方は非科学的だろうが、私にはこれ以外に言いようがない。

 不思議と思索的ではなく、感覚的な夜である。私はなにも考えていない。貴重な時間なのだから、考えるためになら、眠らなくてもいいと思っていたのだが、私はただ惹きいられるように空を見ている。珍しく私は過去も思わない。未来に対する恐れも抱かない。現在に対しても野放図にだらけている。昔から、岩漠では人々は石ころのような気分になっていたのではないかと思う。小さく放心して地上の光らない星になって、宇宙の壮大な星と相対していたのではないかと思う。それがこの荒れ果てた土地で人々が生き抜いてきた秘密かもしれない、と思う。



 更に次のこのくだりはいろいろ考えされるものだった。

 私たちの車の来るのを見つけた男たち三人、ばらばらと飛び出してきて、私たちに向かって止まってくれというように手を振って合図をしたことである。彼らは荒野の一隅で、何に使うのか日乾煉瓦で小さな建物を積む仕事をしていたようであった。ちょうど私が運転していたので、私は車を止めた。すると最初に、車の窓に顔を寄せた男が、「水をくれないか」とフランス語で言った。
 水ならやってもいいのではないか、と私は思った。もう先も見えているのだし、本当に厳しい砂漠地帯は過ぎたのだから、この人たちが生命に関する水を求めているなら、あげるべきではないか、と思ったのである。
 私はそれだけのことを考えるのに数秒かかった。そして、その結論をまだ口にしないうちに、その男は重ねて言ったのである。「砂糖もくれないか」

 「こんな図々しいのに、やるのはやめにしましょうよ」 後ろの席から誰かが言った。私も嫌な気分になりかけていたので、そのまま車を出した。

 私はその日一日中、水をやらなかった三人のことを考えていた。彼らは恐らく、もっともアフリカ的な精神の持ち主で、何でも要求してみて、うまく行ったら得、くれなくてもともとと思っている人たちなのであろう。だから、私が彼らに冷たい仕打ちをした、と思う必要はないのかもしれない。

 日本で考えるとき、何をそればかりのことを、と思えるのである。見知らぬ人が、通りの垣根越しに、庭にいる私に、「すみませんが、水を一杯いただけないでしょうか」と声をかけたとする。私は喜んで、何の痛痒も感じず、むしろ「小さな親切」が簡単にできることを喜ぶであろう。その時、私も相手も共に少しも痛まずに、命や喜びを分かつことが出来る。
 しかし砂漠ではそうではない。人に与えいる一杯の水は、自分の命をより減らす危険に繋がる場合があり、自分の命を守れば、そのことによって、他人の生命が細るという関係があらわになる。自分が平和を望めば、相手も当然望んでうまく行くはずだなどというのは、分け与えてもいい命の水がいくらでもある土地の人々の甘さからでるものなのである。
 しかし砂漠では、人間が、たやすく死ぬものだということを誰もが知る。人間がたやすく人を殺すもんだということを誰もが体験する。それを知っている人間と知らずに生きている人間とは、物の考え方が大きく違って来る。



 これは私がやっているビジネスに比べればかなり極端なケースだが、なんだかこの本を読んで、今やっている私の仕事などは、ずっとマシと思えたのでした。さっ、また明日から仕事に励むことにしましょう。




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