定年後、中古車輸出の仕事を始めた時、特段、アフリカに売り先を限定したわけではないが、圧倒的にアフリカからの引き合いが多かった。アフリカに行ってみて分ったが、人口構成に占める若い世代が多く、とても活気を感じる。皆、上を目指して仕事に励んでいて、まるで戦後の復興を目指した日本のようだった。(といっても、その時代には幼なすぎて記憶にはないが、、)
アフリカの人たちと付き合って思うのは日本がいかに高齢化社会かということ。日本はあと数年で65歳以上の人が人口の1/4になるという。しかしアフリカを見てみると、例えばマダガスカル。なんと人口の半分が20歳以下だという。まるで大学のキャンパスで生活しているようなもの。アフリカ新興国は、どの国も、ほぼ同じようなもののようだ。
平均余命が55歳のアフリカと違い、平均余命が85歳だというのであれば、やはり60歳で何もしない、というのはマズイのではないかと思う。肉体的にも精神的にも若い現代のシニアなのだから、「年齢−10歳」と考え、せめて70歳くらいまでは仕事をするというのはどうだろうか。ただし、若い世代が就職難だというのだから、彼らの職場を奪わない形が望ましいだろう。
退職金を沢山貰っているので働く必要性はない、という人もいるだろう。しかし、そこそこ年金以外の収入があれば、より多くのお金を使うゆとりが出来る。それが、社会の活性化、内需拡大に寄与してくれるのではないかと思う。それに、毎日、きょういく(今日、行くところ)と、きょうよう(今日やるべき用事がある)が持て、生活に張りがもてる。
もう人に使われるのはウンザリという人もいる。それは私も同感。ゆえに、定年後は(人に使われるのではなく)自分で仕事を始めた。始めてみて分かったが、初年度は、あれもこれもやらなくてはいけないので、また不慣れゆえに、大変だった。それも、2年目に入るとゆとりが出来てきた。
私の今の仕事(中古車の輸出)は、働く時間と場所を選べるのがいい。疲れたな、と思ったら昼寝をしてもいいし、気分が乗らないければ、平日の昼間から映画にでも行って気分転換してきてもいい。人に使われているわけではないこと、仕事の上がりだけで食べていかなくてはいけないという必死さは必要ないこと。それであれば、気分も楽だ。
曽野綾子さんも、本に書いていたが、「
高齢であることは資格でも功績でもない」そして「
人間は死ぬまで働かなくてはいけない」と。
あらためて曽野さんの著書を紹介したい。
第1章 なぜ老人は才覚を失ってしまったのか
高齢であることは資格でも功績でもない
老化度を測る目安は「くれない指数」
昔の老人には、老いる「才覚」があった
基本的な苦悩がなくなった時代が、老いる力を弱くした
戦後の教育思想が貧困な精神を作った
老人の使う言葉が極度の貧困になった
外国の人の会話は実にしゃれている
第2章 老いの基本は「自立」と「自律」
他人に依存しないで自分の才覚で生きる
その時々、その人なりのできることをやればいい
自分の能力が衰えてきたら生活を縮めることを考える
人に何かをやってもらうときは、対価を払う
高齢者に与えられた権利は、放棄したほうがいい
いくつになっても「精神のおしゃれ」が大切
自立を可能にするのは、自律の精神
健康を保つ2つの鍵は、食べ過ぎない、夜遊びしない
性悪説に立てば、人と付き合っても感動することばかり
第3章 人間は死ぬまで働かなくてはいけない
ひと昔前まで、人は死ぬまで働くのが当たり前だった
老人になったら、若い人の出る幕を作ってあげるべき
老人が健康に暮らす秘訣は、目的・目標を持つこと
「何をしてもらうか」ではなく、「何が出来るか」を考える
料理、掃除、洗濯、日常生活の営みを人任せにしない
受けるより、与える側に立つと幸せになる |
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曽野綾子/著 「老いの才覚」 ベスト新書
800円
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