一昨年、私が西アフリカのガーナへ行ってみて感じたのは、アメリカなどへ行くことに比べ、アフリカへの旅行は数倍大変だったことでした。(詳しくは
こちらをお読みください)
今回、中古車輸出で知り合ったウガンダ(東アフリカ)人に、一度日本に来てみませんか?と声をかけたところ「行ってみたい」との返事。ならばと、彼に現地、日本大使館へ出向き、査証の申請に必要な書類を調べて貰いました。外国人の来日招聘は初めてではありませんでした。かつて国際交流団体で働いていた際に幾度か経験していました。しかし、当時は国際交流団体としてであって、今回のように私個人、しかも定年退職をして組織に属さない人間には、必要と思われる書類作りが大変でした。
比較的に敷居が低いと思われる「観光ビザ」で準備をするにしても、私の雇用証明書とか、納税証明書、身元引き受け書類に加え、私の住民票(家族込み)、印鑑証明なども提出する必要がありました。そんな努力にもかかわらず、現地の彼からは「査証が発行して貰えなかった」との返事が。日本大使館でそうしたことに対応する人は日本人のはず。ならばと、日本語で手紙を書きました。今は定年退職して組織に属していないので、雇用証明書とか、納税証明書といったものが用意できません。では、こうした私のような人間には、ウガンダ人一人呼ぶ資格はないとおっしゃるのでしょうか?と書きました。
その後、現地日本大使館から私宛に国際電話がありました。聞けば、毎年ウガンダから日本へ行く人間のうち、5%が成田に到着後、行方不明になり、不法滞在者化するのだとか。更に聞けば、パスポートに本人の顔写真が張ってあっても、成田の審査官には、本当に本人の写真なのか、必ずしも判断が付かないので(我々日本人には、皆同じ顔に見えてしまう?)、本人以外が入国してしまうこともありうる、とのことでした。私は自分なりに、相手を信頼に足ると思う確信めいたものがあったもので、「5%の不届き者のために、95%の人との国際交流の機会を諦めろというのでしょうか?」とたずねました。
その後、雇用証明書の代わりに、税務署に提出した「事業開始届け」を、また納税証明書の代わりに、青色申告の(赤字ではありますが)初年度の決算書なども送りました。その後も、いろいろとやりとりがありましたが、ようやくビザが下りたと現地ウガンダ人から喜びの連絡がありました。到着した彼から聞いた言葉は、「あなたの日本人の友達はとても手ごわい交渉相手でした」と言われたのだとか(笑)。熱意が通じたようでした。
|
|
来たついでに何台か中古車を買っていきました |
ランチも一緒 |
|
|
バトミントンが得意ということで専門ショップへ連れて行ってあげました |
最後は成田空港まで送っていってあげました |
かつてやっていた国際交流活動といっても、当時の私は30代、今は60代、自分で呼んだものの大変でした(笑)。こころがけたのは、単純な観光旅行にしないようにと、私の仕事に同行して貰い、山手線を手始めに、私鉄、地下鉄、バス、タクシーと、ごく普通の日本人が使う公共交通機関をメインにあちこち連れていき、普通の日本人がどんな生活をしているのかを見て貰いました。
彼は教育レベルも高く、大学卒業後、会計の勉強もし、現地ウガンダで監査の仕事をしているホワイトカラーでした。どうやら中古車の購入は、自分が使うもののほかは、利殖という意味もあるようでした。
彼とは9日間、行動をともにし、いろいろな場所へ行き、またその間にいろいろなお話をしました。その中で印象的だったのが、彼に将来の夢を聞いた時のことでした。将来の夢は?と聞いたところ彼がこう言ったのです。「3人の子供を育てあげたらあとは死ぬだけ」と。良く聞いてみると、彼の両親はともに教育者だったそうですが、いずれも50代で病気で亡くなってしまったそうです。
そもそも平均寿命を聞いてみると、ウガンダの平均寿命は55歳、とのことでした。日本のように85歳とでは30年間の開きがあります。41歳の彼が子育てを終えたあとの夢が描けない背景はこうしたことからのようでした。
反対に私が、自分の父の話をしてあげたところ驚いていました。私の父は四国の田舎の出身、しかも母子家庭でしたのでとても貧しかったようです。NHKのドラマ、おしん、ほどではないにしても、貧しかった当時の時代背景の話をしてあげると、とても驚いていました。ウガンダには、大量の日本車が流れこんできます。優秀な技術を持ち、裕福な日本人にもそんな時代があることが意外だったようでした。
30代で国際交流団体にいた時代に、当時の上司が良く語っていたことは、日本の繁栄なんて、たかだか70〜80年程度のこと。当時、東北で飢饉があれば、娘を女郎に売らざるを得ない時代だったのだと。ゆえに、日本が繁栄していることに浮かれていてはいけないのだと。更に、(1980年前半)上司が韓国に行き、ホテルの向側にあるビジネスビルで、深夜近くまで韓国のビジネスマンが働いているのを見て、「いつかきっと日本は抜かれるよ」と言っていました。実際、現在、IT系などの分野で韓国に抜かれてしまっているのはご承知の通りです。
そんな話を思い出し、彼にも言ってあげました。日本が出来たことは、他の国も同じように出来る。げんに韓国は日本を越えてきているではないか、と。あなたの国でもがんばって欲しいと話しました。
なにかをやる時に考えておくべきこと。何をするのか、どうやるのか、の前に、それを何のためにやるのかをしっかりと考えておかなくてはいけない。自分が中古車輸出を始めた時に、どこかに国際交流の一環として、ということが頭にありました。今回のウガンダ人の来日、滞在費と食事の面倒を見てあげましたので、中古車を何台か買って貰ったものの、ビジネスと考えていたら採算は取れていません。しかし、国際交流の一環と考えれば、とても実りの多いものでした。
<編集後記>
奇しくも知ったアフリカの人の平均余命。我々は、先人の努力のお陰で進歩した医療を受けられ、豊かさのお陰で寿命が延びていることを、あらためて知り、そこに生まれたプラス30年を大事にしなくてはいけませんね。
実際、私自身、昨年秋、心筋梗塞で入院したわけですが(人間は生まれる場所を自分で決められませんから)、もしウガンダで生まれていたら、私は高度医療は受けられず、死んでいたでしょう。
日本という国に、たまたま生まれたこの幸運を、残りの時間を精一杯生きることで、全うしなくてはいけませんね。