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自己紹介

  昭和25年(1950年)2月生まれ(水瓶座)血液O型の男性

  私が小学生低学年の頃、少年サンデーが創刊されました(1959年)。当時30円だったように記憶しています。30円というと、ずいぶん安いな〜と思うかもしれませんが、結構価値があったんですよ。中学校の時でも、ラーメン一杯が確か50円くらいだったかと思いますから(今なら安くて500円くらいでしょうから、物価が10倍になったってことかな?)。テレビはまだ一般家庭では普及してなくて、プロレスの力道山を見たくて当時住んでいた自宅向かいの電気屋さん前に、大人に混じって見に行っていた時代です。
 一般家庭にテレビが普及したのは、昭和34年(1959年)の皇太子さまと美智子さまのご成婚、もしくは昭和39年(1964年)あたりからじゃなかったかと思います。当然、真空管式だし、チャンネルは「押す」のではなく、「回す」ものでした。


  仕事は外資系コンピュータソフト会社の営業
  身長172cm、体重75Kg、ウエスト88cmと、ちょっと太りぎみ
  親の遺伝か、髪もふさふさ、白髪もあまりない。お陰で、だいたい10歳は若く見られる

 運動神経が良いというほどのものは何もありません。ただ何かを始めると結構凝る方ですね。以下はその履歴です。

 「20代」ではスキーに凝りました。私がスキーを本格的に始めたのは大学を卒業し、会社勤めが始まってから。とにかく仕事が忙しかったので自分の楽しみが欲しかったので、1シーズンに7回位行っていましたね。お陰でシーズンが終わる頃には膝がガクガクしてきて、トイレに行き、しゃがむのもツライほどでした。今でも息子よりはスキーの腕(足?)は上、と思っています。

 「30代」はテニス。同僚に面倒見の良い人達がいたお陰です。ヘタな私の相手をしてくれ、それで上達しました。一時は職場の20代の人に混じってテニス合宿などにも参加していました。軽井沢で合宿した時などは、プロのコーチを頼んみ、まるでテニス部大学生を教えるようなハードメニュー。真夏でバテテ、食事が出来ないほどでした。彼らのお陰で、上手いとはいえないが、まあ誰とでもテニスを"楽しめる"レベルになれました。

 「40代」は水泳。小学校時代、課題はとにかく25m泳げれば型はなんでもよかった。で、私は平泳ぎ。そんなことで、かっこよくクロールで泳ぐということが出来ませんでした。ある日、港区の案内に、「初心者のための水泳教室」なるものが出ていて、しばらくはその水泳教室に通いました。お陰でクロールで泳げるようになり、仕事帰りに区のスポーツセンターに行って泳いだりしていました。

 その後、水泳との因果関係は分からないのですが、40肩になり、これが理由で水泳は挫折。以降、転職などもあり、ゴルフを始めるまでスポーツからは遠ざかっていました。

 「50代」が、このホームページのテーマ、ゴルフにはまった、というわけです。


 パソコンからインターネットへ

  「別ページ」にも書きましたが、パソコンは8ビットパソコン(私が使っていたのはシャープPC1500、富士通FM-8あたりが最初)からパソコンにはまり、インターネットは確か1995年から個人でも利用し始めました。(参考:日本の個人向けインターネットは、1994年のインタロップというイベントあたりがスタートと言われ、最初のプロバイダーが"ベッコアメ"でした)

 パソコンにはまって、1992年(42歳の時)にそれまで在職してきた教育関係の仕事からIT業界に転職してしまったほどですので、文科系ながら、IT関係の知識、技術はそこそこ持っているつもりです。ホームページ作りも、日記を書く感覚で作っています。今後とも、インターネットはテレビや電話と同じように「道具」として活用していきたいと思っています。

   特別寄稿 ・・・ 私が尊敬している藤牧先生にお願いして「インターネット」について書いていただいたものです。



私が住んでいる東京港区にもこんな場所がありました

この映画、ご覧になりましたか?私は家内と一緒に観たのですが、ストーリの背景になったこの時代って、まさに私が小学生時代そのものなんですね。なんだか昨日にタイムスリップしたような気分でした。

 

こちらはつい数年前まで私の自宅近くにあったタバコ屋さん。右の赤いホウロウビキの
看板には、「東京府」と書いてあった。公衆電話は赤電話から緑電話になっているが他
は昔そのままだった。軒先には鰯の頭とヒイラギの葉が吊るしてあった。厄除けなのだ

 


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