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69. 継続は力 (2005/04/17)

 シングルの方の話を聞くと、最低、毎日素振りをするのだとか。あいにく東京の中心にいるので、家の中は勿論、屋外でも素振りをする場所などない。それでも週1回の練習場通い、月に2,3回のコースプレーで、じわじわとではあるがスコアアップしてきていた。昨日(16日)、久しぶりにホームコースへ行ってプレーしたが、スコアが悪く100切りから遠ざかってしまっていた。

 ・・・今回はちょっとゴルフの話とは離れますが。

 実は家族同様に愛していた猫が癌で亡くなったのだ。2月末、私がゴルフへ行こうと準備をしているところに寄ってきた。前片足を引きずっていたので捻挫か骨折でもしたのかと思っていた。日曜日だったが診療を行っているペット病院が近場にあるので、家内が連れていってくれた。

 帰宅して聞いたところ、背骨になんらかの障害が発生したのかも、とのことだった。それから1週間ほど投薬治療を試みたが好転しなかった。そのうち後足までおかしくなってきた。どうやら癌になってしまっているようだった。内臓の癌がリンパ腺にまで転移し、それが影響で歩けなくなった様子。内臓の癌のせいで食事が胃から下にいかなくしてしまった。食事が取れないので、1日おきに注射で補給する水分だけで維持することになった。お医者さんは「持って今週一杯でしょう」という。

 病院で栄養士として働いている次女が寝たきり老人用の流動食を持って帰ってきてくれた。なめてみると練乳のような味がする。なんでもこれを直接食道に流し込んでいるだけで1年生きているご老人もいるのだとか。これを試しにスポイトで口に入れてやった。詰まった消化器官でも、なめる程度の液体は受け付けてくれたようだった。お陰で「今週一杯もてば、、」といわれてから2週間生きていてくれた。

 一番辛かったのは、安楽死を決断しなければならなくなったこと。子育ての終わった家内にとっては子供も同様。「猫可愛がり」とは良くいったものです。とにかく可愛がった。反対に猫は我々に「癒し」をくれていたのだから当然なのかもしれない。自然死を求めるということも考えられるが、「ならば、もしかしたら苦しむかもしれないこの猫を最後まで見届け続けてやれ」と伝えた。子供たちは早々にあきらめたようだが、家内だけは決断がつかなかった。しかし、食事が出来ない猫が骨と皮状態になり、更に片足が壊死をはじめ、ようやく決心がついたようだった。

 家内はパートの仕事を持っている。パートとはいえ、私以上に仕事に対して責任感を持っていた。それがきっぱりと辞めてしまった。猫の最後に付き合ってあげたいからのようだ。最後の日、家内はこの猫を抱いて、思い出のある1つ1つの部屋で過ごさせたのだとか。猫を飼っている人なら分かると思うが、1日をどこで過ごすかパターンが決まっているようだ。朝起きて朝食後過ごす日当たりの良い部屋。日がかげってくると移動する先。夜は食事が近づくと、自分の餌用皿の前で待つ。そして皆が寝ようとすると娘のベットにもぐりこむ、といった感じである。

 辛い役はこんな家内にはさせられないので、診療時間の終わったペット病院には私が連れていった。安楽死させ、私が「ほんとうにお世話になりました」と頭を下げ、親身になって診療にあたってくれた院長先生に挨拶をした。院長先生から「お役にたてず申し訳ありませんでした」とご挨拶をいただいた。

 最近はこんなところにも便利になったものである。ペットの火葬には、葬儀用バンで家まで来てくれるのだ。車内には、趣味の陶芸に使う窯のようなものがしつらえてあり、1時間くらいで火葬にしてくれる。近所からクレームが来ないよう車体には何も書いてない。お盆のようなものの上に猫の遺体を乗せ、葬儀社の人が花を添えてくれ、最後のお別れをした。息子にも立ち会わせた。実はこの猫、8年半ほど前に息子が空き地で見つけて拾ってきたのだった。

 火葬が終わって、声がかかりバンのそばに行くと白い骨になっていた。お寺の坊さんのお経の一説に「白骨になりぬ〜」というのがあるが、まさにあのふさふさの毛の黒猫ちゃんが白骨になっていた。葬儀社が用意してくれた小さな骨壷に、小さくなった骨を手で拾って入れてやった。葬儀社の人が「私も茶の猫を飼っていたのですが、以前亡なりました。今でも茶色のスリッパを見ると、一瞬猫と勘違いするんですよ」と言っていた。猫は1日のほとんどを寝て過ごすので、なんだか家の中の景色のようになっている。この人の言うように、黒いセーターなどが置いてあると、一瞬この猫と勘違いをする。この猫はメスなので、遺影と骨壷のまわりに花をかざってやった。ペット病院からも花かごが届いた。こうした気遣いは嬉しいものだ。

 遺骨は次の週の週末(4月始め)、父の墓の横に埋めてやった。ここには私が大学生の時に死んだ犬も埋めてある。ちょうど親父の墓の両脇を、狛犬よろしく犬と猫が守っている感じになる。まあ、私も家内も、死ねばこの墓にはいるのだから、ここで待っていてもらうのも良いだろう。
 さあ、またゴルフに復帰しよう。

 

 話は変わるが「100万回生きたねこ」という絵本をご覧になったかたはいらっしゃるだろうか。死んでも死んでも生まれ変わる猫がいた。その猫が1匹のメス猫と知り合った。飼い主の1人だったサーカスの団長のところで覚えた芸などを見せたり、王様に飼われていたこと、海賊に飼われていたことなどを自慢したが、このメス猫、そんなことには興味を示さない。素直になって、メス猫ちゃんに好意を打ち明けるとようやく受け入れてくれた。二人は一緒に暮らし始め、子供も出来た。子供たちもそれぞれ大きくなって、立派な野良猫になって巣立っていった。残った二人は、お互いを思いやり、静かに楽しく暮らしていた。そんなある日、メス猫が死んだ。トラ猫は泣いた。毎晩、毎晩、泣き、そしてメス猫の後を追って死んだ。100万回も生き返ったトラ猫は、二度と生き返ることはなかった。

 


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